軍人

多田 駿

明15・2・24〜昭23・12・18 明36・11 陸士卒(15期) 37・3 任砲兵少尉・野砲第18聯隊附 37・7〜38・6 出征 38・6 任砲兵中尉 42・11 砲工校高等科卒 43・12 陸大入 大2・8 任砲兵大尉 2・11 陸大卒(25期) 3・8 参本附勤務 4・6 参本部員 6・3 支那政府応…

根本博

9月にWOWOWで『なぜ君は絶望と闘えたのか』というドラマをやる。プログラムの表紙にもなっている。光市事件をモチーフにしたものだ。 さてこのドラマの原作者である門田隆将氏は今年、『この命、義に捧ぐ〜台湾を救った陸軍中将根本博の奇跡〜』という本を出…

義烈

こちら戦争を語り継ごうブログ 義烈空挺隊長・諏訪部忠一中佐で知った記事。 http://mainichi.jp/select/opinion/yuraku/news/20100125dde041070040000c.html 仙台市の会社役員、佐々木芳典さん(78)は、1945(昭和20)年の沖縄特攻作戦に参加し、…

K少将の詩

彼が最初、生徒をスパイにしたてあげて、国家革新を夢見る青年将校を陥れたとき、私は声をあげなかった、 私は青年将校ではなかったから。 ノモンハンで多くの軍人が自決を強いられたり予備役に追われたとき、私は声をあげなかった、 私は関東軍勤務ではなか…

恋のとむらい

本間の妻は田村怡与造*1の娘で、姉の一人は山梨半造*2に嫁いでいた。非常な美人だったそうで、若い軍人の間でも有名であった。ただその派手さ故か、母が芸者であるという噂があった。これは事実ではないのだが、本間も今村もそう信じていた。本間は彼女に惚…

逆襲のヒトシ

id:goldhead氏のブコメより はてなブックマーク - goldheadのブックマーク / 2009年6月15日 関係ないが、シャアみたいだと思った。重力の井戸に魂を縛られた人たちは……。 ロンドン 「くぁwせdrftgyふ」 「させるかぁ!」 ある金曜日、ロンドンにるX大尉*1か…

珍名の再生産

陸士25期に前田狐狸狗馬という人がいた。卒業名簿によれば兵科は野砲兵だったようだ。松下芳男博も読み仮名を書いてくれていないので、本当のところなんと読むのかは私もわからない。いくら昔といってもこれは相当な珍名で、なんでも九州の新聞の珍名投票で…

イニシャルトーク「在ソ間言行録」

また秦先生ネタから入ります。グリフォンさんの所で紹介されていた新潮45の【特別読物】司馬さんと戦車(下)/秦郁彦を立ち読みしてきました。匿名人士を暴くのは私も大好きですし、その(旧軍方面の)第一人者たる秦先生には、尊敬措く能わざるところです…

田中田中田中

『インパール』にはいずれも弓師団の三人の田中が出てくる。一人目は師団参謀長の田中鉄次郎大佐。酒と女が好きな粗暴タイプの参謀で、理知的な柳田師団長とは肌合いが合わず、むしろ軍司令官の牟田口中将と合った。柳田中将は当初からインパール作戦には懐…

山守恭大尉

陸士54期 「長、きさまにたのみがある」 山守大尉がさし出したものを見ると、百円の紙幣であった。前線では用がないので、見ることも珍しかったが、意外な大金でもあった。 「おれは当番の兼見一等兵をいっしょにつれて行く。この金は、兼見の遺族に送ってや…

ラインハルト

ワイマール共和国の統帥部長ヴァルター・ラインハルト大将は、ウィーラー・ベネットの『権力のネメシス』だと、ゼークト、グレーナーとは対照的な守旧派の将軍としてしか描かれていない。ところが彼は、カップ一揆に際して、あいまいな態度をとるゼークトと違…

あの作戦部長は実は自業自得だった件

「要は、勇気がないんでしょ?」で始まる太平洋戦争 - ARTIFACT@ハテナ系 を読んで最初に書いたのは、実はこっちでした。実際の時系列的にもこっちが先の話なんですけどね。それにしても汎用性高いネタですね。 「要は、勇気がないんでしょ?」でツンボ桟敷に…

「要は、勇気がないんでしょ?」で権威が失墜する作戦部長

ちょっと昔の話。今よりも僕はずっとずっと軍隊が好きで、国防方針を説明するのが好きだったんです。でまぁ、当時も今と変わらず抗日が酷くて、男友達と飲みながら「抗日が酷い、だから対ソ戦できないんだ」と文句言ってたのです。市ヶ谷で。したらまた、こ…

Freedom Fighter

モビルスーツの名前では無いよ。インド国民軍婦人部隊の美人隊長キャプテン・ラクシュミのこと。 下の写真、真ん中はネタジ。

明日への遺言リンク

http://sankei.jp.msn.com/entertainments/media/080302/med0803021109000-n1.htm http://sankei.jp.msn.com/entertainments/entertainers/080205/tnr0802051307008-n1.htm http://sankei.jp.msn.com/entertainments/entertainers/080211/tnr0802111248005-n…

人事に対する南京事件の影響

http://members.at.infoseek.co.jp/NankingMassacre/mondai/eichel2.html 北支方面軍と中支那方面軍の兵団長のその後の昇進具合を比較し、陸軍当局の南京攻略に対する評価を類推しているページを発見しました。記事では両軍の中将の大将への進級率を比較し、…

武士の商法?

田村真作『愚かなる戦争』創元社 昭和25年 Kは参謀本部支那班長として、日華事変の導火線となった北支の特殊地帯設定を計画して、軍中央部で事変の火つけ役をやったメンバーの一人である。当時の彼はやっと少佐になったばかりであった。彼は事変は局地解…

現職長官の検挙

守屋前次官の逮捕でふと思い浮かんだのが、昭和11年4月にあった植村事件。当時造兵廠長官だった植村東彦陸軍中将が収賄で検挙され、陸軍では次官の梅津美治郎がとりあえず造兵廠長官事務取扱となって当座をしのいだ。植村は銃砲課長、兵器局長などを歴任し、…

長勇の評判がえらく悪い

第32軍司令部の実態 - Apeman’s diary ので何かいい話でも無いかなと思って探したけど、こんなのしかないヽ(`Д´)ノ 私(馬奈木敬信)がヨーロッパから帰ってきたとき(昭和六年七月)、帰朝慰労と称して長君に誘われて、帝劇に水谷八重子の「唐人お吉」を見に…