根本博
9月にWOWOWで『なぜ君は絶望と闘えたのか』というドラマをやる。プログラムの表紙にもなっている。光市事件をモチーフにしたものだ。
さてこのドラマの原作者である門田隆将氏は今年、『この命、義に捧ぐ〜台湾を救った陸軍中将根本博の奇跡〜』という本を出している。本屋でも平積みになっていたので、売れているのだろう。サブタイトルが示すとおり根本博の評伝である。私も勿論、本屋で手に取ったが、パラパラッと読んで、また元に戻した。何故ならその内容が、光人社から既刊の小松茂朗『戦略将軍根本博』と大同小異だと思ったからだ。要は、根本の人生を若い頃から描いた物ではなく、晩年の駐蒙軍司令官と林保源時代だけを描いただけということだ。これでは買えない。
勿論根本は若い頃から、いろいろエピソードのある軍人である。南京事件ではケツを刺されて領事館の二階から飛び降りたし、桜会に名を連ね、三月事件、十月事件に関与した。しかも十月事件では陰謀の主要メンバーでありながら、直前に計画を今村均にたれ込んで、これを頓挫させた。*1相沢事件では、永田鉄山を斬り殺した直後の相沢三郎中佐とうっかり握手をしてしまい、それを散々裁判でネタにされて大弱りしたし、北部仏印進駐にも南支那方面軍の参謀長としてコミットした。まあこういったことを書いて、それで売れるかどうかは知らんが。
上で挙げた南京事件というのは昭和12年のものではなく昭和2年、日本が被害者側だった方を指す。佐々木到一はこの事件についての伝聞を次のように書き残している。
逐日耳に入るところの事件の真相は悲憤の種だった。英米仏の軍艦はついに城内に向けて火蓋を切ったのに、わが駆逐艦はついに隠忍した。しかも革命軍は、日清汽船のハルクに乱入してこれを破壊し、わが艦を目標として射撃し、げんに一名の戦死者を出しておる。荒木大尉以下十二名の水兵が城門で武装を解除された。在留外人は全部掠奪され、某々国の何々が殺された。わが在留民全部は領事館に収容され、しかも三次にわたって暴兵の襲撃を受けた。領事(森岡正平)が神経痛のため、病臥中をかばう夫人を良人の前で裸体にし、薪炭庫に連行して二十七人が輪姦したとか。三十数名の婦女は少女にいたるまで凌辱せられ、げんにわが駆逐艦に収容されて治療を受けた者が十数名もいる。根本少佐が臀部を銃剣で突かれ、官邸の二階から庭上に飛び降りた。警察署長が射撃されて瀕死の重傷を負うた。抵抗を禁ぜられた水兵が切歯捉腕してこの惨状に目を披うていなければならなかった、等々。しかるに、だ、外務省の公報には「わが在留婦女にして凌辱を受けたるもの一名も無し」ということであった。
婦女子への暴行について、戸部良一教授は、そういった危機があったのは事実だろうが、大分尾鰭がついているのではないかと推測しておられる。ちなみにネモやんは、自分が死ぬことで国論を喚起しようと考えたらしいが、水槽に落ちて気を失っただけで済んだ。この文章を書いた佐々木は陸軍軍人にしては珍しく国民党にそこそこ好意的な人物であったが、済南事変の折り、蒋介石の要望で、日本軍と革命軍の停戦のために働いている最中に、革命軍に捕まってボコボコにされてしまう。彼は昭和12年の南京事件では、警備司令官として、掃討戦の指揮をとり、21世紀にまで禍根を残した。そのあたりまで含めて見ると、なかなか味わい深いものがある。