恋のとむらい
本間の妻は田村怡与造*1の娘で、姉の一人は山梨半造*2に嫁いでいた。非常な美人だったそうで、若い軍人の間でも有名であった。ただその派手さ故か、母が芸者であるという噂があった。これは事実ではないのだが、本間も今村もそう信じていた。本間は彼女に惚れて惚れて惚れて結婚した。結婚前、今村に報告をしたとき、彼に「その人は君のお母さんとはうまくやっていけないのではないか」と忠告されたが、「僕は恋愛の気分にひたって生きて行きたいのだ」と答え、今村も諦めている。
今村の予想通り、嫁姑の仲は全くうまくいかず、本間のイギリス駐在中に、妻は舞台に立ち、そのまま家を出てしまった。母からの手紙でそのことを知った本間が、酔って料理屋の4階から飛び降りようとして、今村に助けられたのは前回書いたとおりだ。酔いが醒めた本間は、軍人を辞めて郷里に引っ込み子供を育てると言い張ったが、インド洋を一人で渡らせるのは危ないと考えた今村は、これを引きとめ、帰国までの二ヶ月間、オルダーショットで起居を共にした。
帰国した本間は、何とか復縁したいと奔走し、やり直せるなら田舎の全財産をあれの実家にやっても惜しくないとまで言い、今村にも仲介を頼んだが、断られている。結局離婚となったが、その際先方の家に慰謝料として数千円払ったという。当の夫人は後年これを否定しているが、本間は今村に払ったと告白している。今村だけではなく仲人の鈴木壮六*3にも報告し、「腰抜けめ」とさんざんに罵倒されたというから、満更作り話でもなかろう。今村もこの話を聞いて、「君はなんて馬鹿なんだ」と嘆いたが、本間から「おれが金を払ったのは、七年間慰めてくれた恋の屍の葬式費用のつもりなんだ。君は笑うだろうが…」と言われて、
「馬鹿だなんていった失礼な言葉を許してくれ給え。友人の多くは、○○中将同様、君をあざ笑うだろう。だが今の今、僕は君の純情に心から敬服しちゃった。イエスは彼を磔刑にした人たちの罪の許しを神に祈っている。裏切られた恋のとむらいに費用をささげるような可憐で純な、そして詩的な気持ちを、神はほほえんでおられるだろう」
覚えず私の目がしらは熱くなった。
”純な人”というのは今村のよく使う表現で、回想録の中でもよく出てくるが、別に嫌味で言ってるわけではなく、彼は心からそう思っているのだ。角田房子氏は、いかに大正時代とはいえ、こんなことで感心してくれるのは、今村ぐらいのものだろうと書いているが、確かにこの人は元々軍人志望ではなかった。今村の父は、食べていくために裁判官をしていたが、自分の仕事が嫌いだったようで、それよりも詩を愛していた。今村には郷里仙台の二高の文科に進んで貰いたかったようだが、今村は東京の一高か高商を志望していた。ところがその父が、今村の受験前に死去してしまった。それでも大学卒業まので学費を出してやるという人が居たため、彼は当初の予定通り一高か高商を受けるつもりで東京で勉強していたが、気の強い母親は、「他人のおなさけで学問するより、ロシアとの戦争でお国がおこるか、滅んでしまうかの大変なときなのだから、軍人になれ」と言って聞かず、遂に勝手に陸士に願書を出してしまった。それでも今村の苦悶は続いた。迷う心で観兵式を見に行く。そこで「万歳」「万歳」の巨濤の中、天皇の馬車から二メートルのところに押し出され、その竜顔を拝した。
両側の群衆は、なおも狂えるように万才を連呼し、依然として涙をたれている。
「嗚呼。これが日本のお国柄だった」
私はこのように、君民一体の大家族国家を感銘させらえたものである。家に帰る途中で郵便局に立ち寄り、「陸士受験する。不合格だったら現役兵を志願する」
こう越後にいる母に電報した。
陸士入試のとき、隣に大柄な青年が座った。昼食のとき「僕は佐渡中学出身の本間と云うのだ」と名乗ったので、今村も名乗り返し、試験の四日間何かと話し合う仲となった。
一人が入ると後は五月雨式に、弟三人も陸軍に進んだ。安は馬術でオリンピックに出場した(このとき西竹一が金メダルを取った)。方策*4は戦後山西省に立て篭もり、共産軍と戦い、太原陥落時に服毒自決するという数奇な運命をたどった。また姉も軍人に嫁いでいたが、その息子の武田功は34期のトップを切った秀才であった。
さて本間のほうは38歳のときに再婚した。*5この人こそが、マニラの法廷で
「わたくしに娘が一人ございます。いつか娘が、わたくしの夫のような男性とめぐりあい、結婚することを心から望んでおります。本間雅晴とはそのような人でございます」
と答えて満廷を感動させた富士子夫人である。
本間の遺言
本間の母は文字が書けなかったが、東京にいる息子に手紙を出すために、年を取ってから手習いを始めた。本間も母が読めるようカナだけの手紙を書き、それが何通か残っている。上記の遺書の母に宛てた部分だけが、平易な言葉遣いになっているのもそのためである。
*1:http://imperialarmy.hp.infoseek.co.jp/general/colonel04/tamura01.html
*2:http://imperialarmy.hp.infoseek.co.jp/general/colonel03/yamanashi.html
*3:http://imperialarmy.hp.infoseek.co.jp/general/colonel04/suzukisoroku.html
*4:http://imperialarmy.hp.infoseek.co.jp/general/colonel02/imamura02.html
*5:実はそれより前、インド駐在時に現地でドイツ系イギリス人の女性と恋に落ちているが、結婚には至っていない。後にその人の母親が日本を訪れ、本間家にも来たそうだ。