明日への遺言リンク

http://sankei.jp.msn.com/entertainments/media/080302/med0803021109000-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/entertainments/entertainers/080205/tnr0802051307008-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/entertainments/entertainers/080211/tnr0802111248005-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/entertainments/entertainers/080219/tnr0802190821004-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/entertainments/entertainers/080226/tnr0802260857006-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/entertainments/entertainers/080304/tnr0803040953011-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/entertainments/entertainers/080226/tnr0802260905007-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/entertainments/entertainers/080304/tnr0803041001012-n1.htm

 大岡 そうです。私は捕虜になったダメな兵隊ですけれど、一口に軍人と言っても、他人に特攻を命じながら自分は台湾に逃げてしまうヒドい将官もいれば、レイテの戦闘を指揮した鈴木三十五軍司令官*1のような誠実な将官もいるという具合で、実にさまざまです。『レイテ戦記』では、戦場の様子を主に書きましたので、今度はそういう将官たちの中でもとびきり上等な岡田中将について、その人間を書いてみたいと思うようになったのです。

大岡 岡田裁判のポイントは二つあるんです。一つは、岡田中将は取り調べの結果、無差別爆撃であることを自白した米兵のみを処刑したのだから、いわゆる戦犯には当たらないという点。つまり、アメリカ軍は国際法規に違反して軍事目標ではない都市爆撃を行って、非戦闘員を殺傷した。従って、降下員はジュネーブ条約にいう俘虜(ふりょ)ではなく、アメリカ側が自ら戦争法規を犯したのだから、戦犯法廷を構成することはできないという主張です。もう一つは、近く米軍の上陸もありうるという状況下で、略式裁判による処刑手続きもやむを得なかったのではないかということ。

上坂 私が岡田中将のことを調べていて、少し気になったのは、あまりにも美談が多すぎることでした。それはもうどれくらい立派な人だったかということが次から次へと伝わっていて、極端な例をあげると、処刑台の上に立って首に縄がかかった瞬間に「第十三方面軍を解く」って叫んで死んだとか。そんなことあり得ませんでしょ(笑)。

 大岡 それと同じで、やはり処刑台に向かうとき、岡田中将が「いい月ですなあ」と言ったという説がある。だから、私は気象台に問い合わせて、月齢を調べてもらいましたよ。そうすると、二十三夜なんですね。逆三日月の細いので、見えたかどうか。

 上坂 それはよくお調べになりましたね。そういうところもキチッとしてあるのは、読者としてうれしいです。もう一つ、うわさがうわさを呼んで、検事が論告をするときに、こんな立派な人にこういう刑を求刑しなくてはならないのは、まことに心が痛むと言って、ポロッと泣いたというのもあります。

 大岡 裁判長がそう言ったという説もある。裁判記録に出ていないので、私は書きませんでした。

先の土曜日はちょうど映画1000円デイで、見に行くには格好の日だったが、体が言うことを聞かず。できるだけ早く見たいとは思っているのだけど。それにしても映画効果は捨てたものじゃない。岡田資中将の知名度もこの数ヶ月で急上昇だ。うちのサイトへの検索ワードに占める(岡田中将の)割合も、遂に5割を超えた(まあ母数が少ないからね)。有名になることで湧き出してくるネガティブな事象は、当然有るだろう。私が出来ることは何も無い。ただ本を読んでくださいと願うだけ。
中将が法廷を戦場の延長と考え、法戦と呼んだ点は、自分も含めた捕虜たちを光部隊と名付けた今村均大将と同じ。
勿論、岡田中将は捕虜を処刑すべきではなかった、死刑判決は出しても執行は猶予すべきであったという意見は当然有っていい。岡田中将と同じ内地の軍司令官でも、(処刑)しなかった人は居る*2。しかしその場合、名古屋が激しい空襲を受けたこと、処刑された捕虜はB29の搭乗員であったことも併せて考慮するべきだろう。その上で、自分ならどうするか考えてください。
岡田中将の”偉さ”というのは、責任を一身に背負い、部下から刑死者を出さなかった点だろう。まあそこまでして救う価値のあった人々かというのは、横に置いとく。自分に責任が有ると主張した指揮官は決して少なくないが、ここまで”結果”を出した人は希少だ。しかも米国に無差別空襲を認めさせる大きな大きなおまけも付いた。
しかし下記のサイトを見てもらえば分かると思うが、搭乗員処刑に対して最終的に死刑判決がでたケースは、石垣島の異常事態を除けば決して多くない*3。これらの判決に、岡田中将の法戦の影響が有るのかは、興味の有るところだが。http://www10.ocn.ne.jp/~kuushuu/bcaircrew.html
石垣島の井上海軍大佐は、責任は自分にあるので部下は減刑して欲しいと訴え続けたが、その訴えは通らなかった。彼らが処刑した搭乗員の数は東海軍より少なかったが。
尤も西部軍のケースを考えると、何人処刑した結果何人処刑されたかというような比較は、余り意味が無いことがわかる。西部軍では、”派手な”搭乗員処分が行われていた。近衛読書中隊 九州二題
単純に見て犯罪度合いは東海軍より高い。しかし最終的に死刑判決はゼロだ。死刑から無期に減刑された軍司令官が獄中で病死したのと、生体解剖を主導した医師が縊死したのみ。では西部軍には岡田中将より立派な人がいて、その人の御蔭かといえば、そういうわけでもない。
BC級裁判の量刑はばらつきが酷い。石垣島のケースや直江津の捕虜収容所のケースは、他と比べると苛酷に思える。

*1:http://imperialarmy.hp.infoseek.co.jp/general/colonel05/suzuki04.html

*2:樋口季一郎は、何度も捕虜の処分を考えたが、その度に参謀長と憲兵隊長に止められたと書いている

*3:但し指揮官が死刑を免れ部下が処刑されているケースもあるので、やはり岡田の身の処し方は光る