【連載】2.26事件への道

2・26事件特集(18)老壮会の活動

これまで引き続き満川『三国干渉以後』によって、老壮会の活動を見ていく。 第一回の会合は大正7年10月9日午後6時清風亭で開かれた。このときはまだ名前も何も決まっていなかった。来会者は海軍中将上泉徳彌、陸軍中将佐藤鋼次郎、大日本主幹川島清治郎…

2・26事件特集(17)満川亀太郎

これまでまた話が逆戻りしてしまうが、北一輝、大川周明と並ぶ重要人物である満川亀太郎の本を紹介する。この『三国干渉以後』は、昭和10年に下中弥三郎の平凡社から出版された自伝めいた書である。昭和10年に出たということを念頭に置いて読むと、中々…

2・26事件特集(16)老壮会

前回さて安直戦争から時間は少し遡る大正7年7月、富山県魚津市を火元に米騒動が起こった。末松太平は後に、西田税や大岸頼義が国家改造運動を企てたことの根本は米騒動と関東大震災だと云ったそうだ。西田はこの年、広島から東京の中央幼年学校に進んだ。…

2・26事件特集(15)安直戦争

これまでのあらすじ 段祺瑞は馮国璋、王士珍とならび北洋の三傑と呼ばれた袁世凱の宿将である。この三人は段が砲兵、馮が歩兵、王が工兵と出身の兵科も違い、段は虎、馮は狗、王は竜と呼ばれた。段はいったん目を掛けた人はどんなことがあっても捨てないと言…

2・26事件特集(14)西原借款と民国の対独参戦

大隈内閣が倒れ、朝鮮総督寺内正毅が組閣の大命を受けた。寺内は現状維持派の最右翼で、袁世凱在世時にはこれを支持して、排袁派の田中義一らを梃子摺らせた人物であった。この、大隈内閣の打倒と寺内担ぎ出しに一役買ったのが、後藤新平と西原亀三郎であっ…

2・26事件特集(13)満蒙燃える

このころ東三省のトップは督理東三省軍務兼奉天巡按使の段芝貴であったが、実力で彼を凌いでいたのが、緑林上がりの盛武将軍張作霖であった。彼は日露戦争のとき、露探として日本軍に捕まりながら、井戸川辰三、田中義一の尽力で命を助けられたという経験の…

2・26事件特集(12)帝位を望む袁世凱と第三革命

日本に亡命してきた孫文は中華革命党を結成した。しかしその、孫文個人に忠誠を誓わせる規約に反発した黄興らが離脱。黄興は渡米した。離脱組は後に欧事研究会を結成する。一方第二革命を圧殺した袁世凱は、宋教仁暗殺の関係者を口封じに次々殺し、大総統選…

2・26事件特集(11)友の死と第二革命

1911(明治44)年12月、北はすず子と結婚した。北29歳、すず子28歳、勿論自由恋愛の末であった。3月10日袁世凱の臨時大総統就任と同時に、南京の参議院で制定された臨時約法五十六条が公布された。これこそが宋教仁が袁の力を抑えるために作…

2・26事件特集(10)北と支那革命

日本にいた革命諸派は、日露戦争に刺激を受けて、大同団結した。それが中国革命同盟会である。内訳を見ると、孫逸仙の興中会、宋教仁・黄興の華興会、蔡元培の光復会であり、変法派の康有為らは参加しなかった。北の加盟と同時期、「革命方略」が孫逸仙、黄…

2・26事件特集(9)北一輝

大正年間における民間の革新勢力について触れるが、その前に、その中心人物たる北一輝の半生を軽く見ておく。北輝次郎は明治16年佐渡に生まれた。軍人でいえば永田鉄山と同学年になる。生家は酒屋で父慶太郎は町長を務めていた。輝次郎には吉、晶作の二人…

2・26事件特集(8)機密費事件

田中の同期、山梨半造。彼もまた、兄貴分田中の後を追っての政界入りを望んでおり、政友会と政友本党の間を長い間ウロチョロしていた。頭脳綿密な上に政治も金も大好きの彼は、「英国式の二大政党を樹立するのだ」と政本合同に奔走していたが、遂に本党を見…

2・26事件特集(7)政党と軍人

大正13年3月、宇垣陸相の元に、内野辰次郎(1期)から一通の手紙が届いた。要約すると”先ごろ突然妙なお願いをしたこと、定めし驚かれたことでしょう。このたびは更に立ち入って小生の意見を開陳したいと思います。陸軍は元来非常に宣伝が下手で、宣伝機…

2・26事件特集(6)佐賀

大正十一年、宇都宮は病床に臥して、再起不能を自覚するや、在京の同志をその枕もとに集めた。十二畳の病室の壁には大きな世界地図が掲げられている。そこに侍した荒木貞夫大佐に、 「オイ、荒木」 と呼びかけた。病気のせいで声には力がなかった。 「赤鉛筆…

2・26事件特集(5)バーデンバーデン

上層部の動きばかり追ってきたので、ここらで中堅どころに目を移します。ここでは舩木繁『岡村寧次大将』河出書房新社を中心に『秘録永田鉄山』芙蓉書房、須山幸雄『作戦の鬼小畑敏四郎』同上、沖修二『至誠通天山下奉文』秋田書店などを参考に筆を進めたい…

2・26事件特集(4)続・軍縮

当時の陸海軍人を取り巻く環境は、それこそ昔の自衛隊以下だったという人もいるくらい、悲惨なものでした。ただでさえつぶしの利かない上に、そのような状況下で行われるリストラは、職業軍人にとって恐怖そのものでした。宇垣もそういった人々の処遇につい…

2・26事件特集(3)軍縮

さて宇垣軍縮に触れる前に山梨による軍縮を見てみます。大正11年に山梨陸相の下、断行された軍備整理は、各歩兵聯隊より三中隊を減じて一機関銃隊をつくり、各騎兵聯隊より一中隊を減じて騎兵旅団に機関銃隊を新設するほか、野砲兵六聯隊と山砲兵、重砲兵…

2・26事件特集(2)宇垣一成

さて宇垣ですが、彼がこの争いをどういう目で見ていたのか、『一如庵随想録』を参考に探ってみます。”大正11年夏秋に於ける陸軍裏面の暗流に関する観測”として彼は次のように書いています。寺内、山縣両元帥の逝去は云うまでもなく長閥凋落の徴にして、茲に…

2・26事件特集(1)上原勇作と田中義一

今年は事件から丁度70年ということで、事件までの流れを陸軍を中心にざっくりと振り返ってみたいと思います。第1回は大正末の陸軍を二分した上原勇作と田中義一についてです。薩摩の総帥上原と長州の秘蔵っ子田中、その対立は宿命づけられていたと言えな…