2・26事件特集(6)佐賀

大正十一年、宇都宮は病床に臥して、再起不能を自覚するや、在京の同志をその枕もとに集めた。十二畳の病室の壁には大きな世界地図が掲げられている。そこに侍した荒木貞夫大佐に、
「オイ、荒木」
と呼びかけた。病気のせいで声には力がなかった。
「赤鉛筆を以って、東経六十度と百七十度の線に筋を引け」
荒木は謹んで命を奉じた。それを快く眺めながら、
「それだけを日本のものにするんだ。いいか、みんな判ったか」
「ハイ、わかりました」
「俺の遺言はそれだけ、終わり」
一座はしんとして、咳一つない。宇都宮は眼をつぶって、あとは一言も言わなかった。

これは高宮太平『軍国太平記(後に順逆の昭和史と改題)』の中の余りにも有名な一節である。これだけを読むと帝国主義丸出しのとてつもない遺言のように思えるが、しかし、この枕頭に集まった人々と高宮のその後を考慮すると、この本を鵜呑みにするのは甚だ危険であろう。

実際に当時その場にいた人の言い分も見てみたい。土橋勇逸は陸士24期で当時大尉であった。宇都宮太郎が第四師団長時代、隷下の歩兵三十七聯隊附だった彼は、佐賀出身ということで、宇都宮の二人の息子の遊び相手を頼まれた。長男のほうは後に代議士になり、軍縮に熱心だった故宇都宮徳馬である。そんな縁で彼は、大尉でありながらも、宇都宮危篤の病室にいた。土橋によれば、詰め掛けていたのは上原元帥を筆頭に武藤信義村岡長太郎、井戸川辰三(1期)、荒木貞夫ら二十数名の高級将校たちであった。大将が遺言をするというので、村岡少将が荒木大佐に筆記を命じた。荒木は土橋に筆記を命じ、土橋は別室に走って紙と鉛筆を用意した。

大将は、ゆっくりではあるがはっきりと、遺言を始められた。随分長いものであった。それは、永年胸に抱いておられた大将の世界政策、日本が今後、実現せねばならぬ政策であった。
私が筆記した遺言は、今でも徳馬君の手許に残っているのではなかろうか。二、三の著書では、この遺言が侵略主義的のものであるかのように誣いているが、それは誤解である。
遺言が終わった大将は、夫人に、貯えてあるシャンパンを持って来るように求められ、それを一同に少しずつ注がせられた。
「このシャンパンは、日清戦争の戦勝祝いのため、宮中にお招きに預かった時、明治天皇から頂戴したものだから、乾盃しよう」
と話されて、いかにもおいしそうに、口にせられた。

これは土橋『軍服生活四十年の想出』の一節である。土橋の回想も本人の記憶違いなど、怪しい点があるのだが、この宇都宮の遺言に関しては信用しても良いと思う。ちなみに高宮と土橋は面識があり、割合親しかったはず。

そもそも宇都宮太郎とはどのような人物か。彼は佐賀出身で、川上操六に可愛がられ、林太郎(旧6期)、仙波太郎と共に陸軍三太郎と呼ばれた逸材であった。高宮前掲本によれば、宇都宮は少佐の頃から、郷党の後輩を集めて、佐賀左肩党という一種秘密結社めいたものをつくっていたという。

しかしこの左肩党に関しても、大正四年出版の鵜崎鷺城『陸軍の五大閥』の説明は、高宮本とは少し違う。宇都宮が左肩党の領袖であるという点は同じであるが、この左肩党は佐賀人の集まりではなく、荒尾精根津一といった大陸雄飛派の流れを汲む組織であるというのである。確かにそういわれれば、積極的な大陸政策の持ち主が、このグループには多い。

さらに鵜崎によれば、宇都宮は川上には可愛がられたが、田村怡与造には疎んぜられたそうだ。情報畑を歩み、福島安正に信頼されていた。一応反長閥らしいが、余りそれを表面には出さなかったようである。

いずれにせよ、彼が郷党の後輩の面倒を良く見ていたというのは間違いないようだ。彼の許には、武藤、村岡を始めとして真崎甚三郎、梅崎延太郎(12期)、原田敬一(12期)柳川平助といった人々が集った。さらにそこに長崎の福田雅太郎、熊本の石光真臣(1期)、筑紫熊七、鹿児島の町田経宇といった人々が加わり、上原元帥を頭領に仰いで、長州に対する批判勢力を形作っていた。

彼らは主に軍令畑を歩んだ。東京育ちの荒木が一人だけぴょこんと入っているのも、そのへんで説明が付くだろう。

田中義一と激突した上原の背後には、上記の勢力が控えていた。田中に推薦され陸相になった宇垣は、軍備整理計画を進めると共に、大々的な人事刷新も行った。大正14年5月1日、山梨半造、福田雅太郎、町田経宇、尾野実信の四大将が待命となった。山梨を除く三人は上原に近い将軍だ。ちなみにこの少し前に田中も予備となっているが、これは政友会総裁に就任するためである。中将では石光真臣、井戸川辰三、星野庄三郎(2期)、大野豊四(3期)、貴志弥次郎(6期)などが同じく待命になった。星野以外は上原派といって差し支えないだろう。何も宇垣も上原派を狙い撃ちにしたわけではない。それだけ、大将や古参の中将に上原派が多かったということだろう。しかし予備に入れられた方は面白いはずがない。こうして、彼等の長州への恨みは宇垣に転嫁され、代替わりしても継承されていくのである。