【書評】昭和十年代の陸軍と政治

昭和十年代の陸軍と政治・第7章

第7章 米内内閣倒壊 ―畑陸相辞職と近衛文麿の役割 本書の三分の一を占める第7章なので、さくっとまとめますと、米内内閣の倒壊の一番の原因は近衛の新体制運動であり 畑の辞職も結局はそれと無縁ではなく 米内が、畑の辞職に全く感付いていなかったわけはな…

昭和十年代の陸軍と政治・第6章-其の6

昭和天皇独白録 (文春文庫)ではこの阿部内閣の陸相人事について次のように書かれています。当時新聞では陸相候補として磯谷中将外一名が出ていた。この両名では又日独同盟をもり返えす怖れがあるし、又当時政治的に策動していた板垣系の有末軍務課長を追払う…

昭和十年代の陸軍と政治・第6章-其の5

まず一つの説を紹介します。これは当時報知新聞の記者だった佐野増彦氏が、月刊現代の1992年9月〜12月号に連載した『裁かれる昭和 最後の証言=日本陸軍亡国秘録』という記事の第四回からの引用です。 植田司令官と板垣陸相の間で、出せ、出さないと…

昭和十年代の陸軍と政治・第6章-其の4

御座所から退出してきた阿部大将は、「鼻から三斗の酢を吸ったような」表情だったといいます。宮中でのお言葉は、羽織袴姿の参謀本部第二課長稲田正純によって、陸相官邸で待機していた有末精三大佐に伝えられました。稲田大佐は阿部大将の娘婿という関係か…

昭和十年代の陸軍と政治・第6章-其の3

東京、市ヶ谷。8月28日。 阿部信行への大命降下が確実となり、組閣に際して策動すること大きかった軍務課長有末精三大佐は、陸相官邸へ向かいました。官邸に着いた有末は、まさに帰ろうとしている山脇正隆陸軍次官と遭遇しました。そこで立ち話で現在の情…

昭和十年代の陸軍と政治・第6章-其の2

新京の関東軍司令部は、磯谷参謀長が陸相になると勘違いして大喜びで飯沼人事局長を迎えました。しかし飯沼から、陸相は磯谷ではなく、関東軍隷下の第三軍司令官多田駿中将であると聞き、一転憤激します。そして飯沼を新京に足止めし、次のような趣旨の電文…

昭和十年代の陸軍と政治・第6章-其の1

第6章 阿部内閣における天皇指名制陸相の登場 ―畑陸相就任の衝撃― この第6章こそ、多田駿マニアの私にとってはメインディッシュです。この件に関しては以前にも触れています。 http://imperialarmy.blog3.fc2.com/blog-entry-66.html http://imperialarmy.hp…

昭和十年代の陸軍と政治・第5章

第5章 第一次近衛内閣における首相指名制陸相の実現 ―杉山陸相から板垣陸相へ― トラウトマン工作打ち切りの模様については以前に書きました。 http://imperialarmy.blog3.fc2.com/blog-entry-238.html まあそうやって自分で戦争続行に舵を切った近衛文麿首相…

昭和十年代の陸軍と政治・第4章

第4章 林内閣の組閣 ― 梅津次官と石原派中堅幕僚の抗争 林銑十郎には、浅原健三という私設秘書がいました。浅原は有名な労働運動家であり、元無産政党の代議士でしたが、森恪に気に入られ、その紹介で陸軍に近付き、林の側近に収まっていました。森は、陸軍…

昭和十年代の陸軍と政治・第3章

第3章 宇垣内閣の流産 ―「軍の総意」による「反対」 昭和12年の1月23日に広田内閣が総辞職し、宇垣一成大将に組閣の大命が下ります。そこから大命拝辞までの流れは、色々な本に載っていますし、何より本書も詳しいのでそちらを読んでいただくとして、こ…

昭和十年代の陸軍と政治・第2章

第2章 軍部大臣現役武官制の復活 軍部大臣現役武官制は山本権兵衛内閣で廃止されました。その経過については、当時の陸相木越安綱の項などでも触れています。この官制改正を飲んだ陸軍は、その対策として陸軍省、参謀本部、教育総監部関係業務担任規定を改正…

昭和十年代の陸軍と政治・第1章

第1章 広田内閣における陸軍の政治介入 二・二六事件の後、元老西園寺公望に首班として指名されたのは近衛文麿公爵でした。しかし近衛公は何かと理由をつけてこれを辞退。重臣達は困りますが、一木喜徳郎の推薦で広田弘毅に大命が降ります。 広田の組閣振り…