昭和十年代の陸軍と政治・第7章

第7章 米内内閣倒壊 ―畑陸相辞職と近衛文麿の役割
本書の三分の一を占める第7章なので、さくっとまとめますと、

  • 米内内閣の倒壊の一番の原因は近衛の新体制運動であり
  • 畑の辞職も結局はそれと無縁ではなく
  • 米内が、畑の辞職に全く感付いていなかったわけはない
という感じです。

もう一点、畑陸相が統帥部から辞職勧告を受けた経緯について。畑日記では

午后次長来訪、(中略)此申出なるものは覚書とて総長宮殿下の捺印あるものなり。こゝまで追い込まれては余として当然身体を明にせざるべからざることゝなれり。

と、沢田茂次長から直接、閑院総長宮の署名入りの『大本営陸軍部参謀総長より陸軍大臣への要望』という書付を渡されたことになっています。一方沢田中将は、書付は阿南次官に渡したのであって、直接大臣には会っていないし、署名は自分のもので、断じて総長宮殿下ではないと回想し、食い違いを見せています。この点について著者は、東京裁判での沢田の口供書を見つけ出し、事実は畑の日記通りであり、沢田は、東京裁判では畑を救うために真実を語ったが、ずっと後年の回想録では、今度は閑院宮の責任を免ずるために、手のこんだ虚偽の回想をしているのではないかと、指摘しています。

この一件は「豆絞りの手拭を被った」武藤章の陰謀であるという田中隆吉の著作の威力はまだまだ強いですが、実際は近衛と陸軍の合作で、そこに米内の淡白さが加わった結果といったところでしょうか。