昭和十年代の陸軍と政治・第6章-其の3

東京、市ヶ谷。8月28日。
阿部信行への大命降下が確実となり、組閣に際して策動すること大きかった軍務課長有末精三大佐は、陸相官邸へ向かいました。官邸に着いた有末は、まさに帰ろうとしている山脇正隆陸軍次官と遭遇しました。そこで立ち話で現在の情勢を説明すると、山脇中将は

「よかった、直ぐ大臣に報告してくれ給え、新大臣候補も親しい間柄だからよかったネ」

と言いました。驚いた有末は、飯沼人事局長満洲へ向かったことを聞いていたので、

「新京の方ですか」

と聞きました。すると山脇は

「イヤその先の牡丹江だ」

とはっきり答えました。新京とは関東軍司令部の位置で、同軍参謀長磯谷廉介を指し、牡丹江とは第三軍司令官多田駿を指します。急いで大臣室に行き報告したところ、板垣陸相

「ヨカッタ、ヨカッタ、新大臣候補も同じ兵科で親しい間柄だしなあ」

と喜びを漏らしました。

三長官会議の前に意見を徴され、東條が良いのではと答えていた有末は、ちょっと解せない気もしましたが、特に何も言わずそのまま自室に帰りました。するとそこに防衛課長の渡辺富士雄大佐がやってきました。そこで彼に、次の陸相が多田中将であることを告げると、渡辺大佐は

「これでは血を見ますよ」

血相を変えて言いました。そして一寸前までイタリアにいて、よく事情が飲み込めない有末に、多田中将と東條中将の確執の激しさを説明してくれました。

有末ほどの”やり手”が、本当に何も知らなかったのかという点は、やや疑問もありますが、彼は渡辺から警告を受けた後も、陸相人事について特にこれといった動きは見せていないようです。阿部内閣の事実上の生みの親である有末からすれば、とにかく組閣を終えることが最優先だったのでしょう。

一方同日午後8時、木戸幸一内務大臣の下を、東條の腹心を以て自認する東京憲兵隊長加藤泊治郎大佐が訪れ、次のようなことを述べました。

陸相に多田中将云々の話あるところ、若し之が決行せらるるに於いては、陸軍部内の派閥抗争は一層激化すべし

そのような事態を苦慮し、相談に来たという体ですが、実態は著者の言うとおり、”多田を陸相にするな”と警告に来たとするのが妥当でしょう。憲兵隊長にしてこのような言動、まさに言語道断なのですが、腰抜けの宮中勢力には、この脅しが一番効きます。

午後8時50分、阿部大将は大命を拝すため参内しました。そしてそこで驚きのお言葉を賜ります。

続く

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