【軍人】昭和期の軍人

いんたーみっしょん

こんなに間が開けておいて閑話休題もないものだが、前のエントリで後宮大将について書いていて思い出した。若林東一にこういうエピソードがある。若林は捕虜の英軍大尉を弾丸から護ってやるため、壕の中に退避させようとした。これを見て第一線にあったある…

ワタリボンバイエ

石射猪太郎の文章は、どうも東亜同文書院特有の嫌らしさが感じられて、好きではない。まあそれはともかく、あの本で一番面白いのは、中国側が日本の要人の印象を書いたメモを、彼が手に入れたときの話。石射自身好意的評価を受けていてご機嫌なんだけど、そ…

林弥三吉中将重大声明

経歴 林弥三吉は石川県出身の陸士8期卒業(優等)。同期同郷の林銑十郎大将は陸相、首相になったが、あちらの林は銑(鉄)だがこちらの林は鋼(鉄)だという評価もあった。参本欧米課長や陸軍省軍事課長といった要職を歴任。宇垣一成の腹心として終生その交…

香月清司中将について(4)

<宇垣の知遇を得る> 香月が陸軍省が示した宇垣内閣の陸相候補の一人であったことは既に書いたが、実は宇垣陣営の意中の人も香月であった。宇垣の腹心である林弥三吉は宇垣に次のような手紙を送っている。小生の考にては香月中将を以て唯一の候補者と存居り候…

香月清司中将について(3)

<香月中将軍司令官更迭事情異聞> 矢次一夫は『昭和動乱私史』の中で香月についていくつかのエピソードを記している。 一、香月は天津に赴任する前宇垣を挨拶をしに訪ねた。そのとき宇垣は不拡大方針を強く説き、香月も同感と答えたが、後に「状勢貴意に副い…

香月清司中将について(2)

<第一軍司令官を更迭さる> 北支那方面軍参謀長岡部直三郎の日記には、腰の定まらない参謀本部と積極果敢に進出したがる隷下軍の間に挟まって苦心している様がよく出ている。特に第一軍と方面軍司令部の間はしっくりいっていなかった。(ここで北支那方面軍に…

香月清司中将について(1)

香月清司中将について語ってみる。香月中将の名前が歴史上大きくクローズアップされるのは、次の二回だと思う。<宇垣内閣の陸相候補に> 昭和12年1月、宇垣一成に組閣の大命が下ると、陸軍の一部幕僚はこれに対し猛烈な反対運動を展開した。彼らに押された…

佐藤裕雄大佐のこと

先の小園安名大佐のエントリで名前だけ触れた佐藤裕雄大佐について、書く気があるうちに書いておくことにする。やはり佐藤大佐のエピソードで有名なのは終戦時の話だろう(世間一般はそもそもこの人の存在自体知らないという突っ込みはこの際断固無視する)…

最後?の大本営参謀瀬島龍三元中佐長逝

瀬島龍三中佐経歴 http://imperialarmy.hp.infoseek.co.jp/general/colonel04/sejima.html 昭7・7 陸士卒(44期) 7・10 任歩兵少尉・歩兵第35聯隊附 9・10 任歩兵中尉 10・1 歩兵学校通信学生 10・12 第9師団通信隊附 11・8 陸士予科生徒隊附 11・12 …

烈兵団長佐藤幸徳

以下は毎日新聞コラム「記者の目」より転載◇軍命に背いた決断を本に−−師団長の文掲載し警鐘 第二次世界大戦で「最悪の戦い」と呼ばれたインパール作戦(1944年)に従軍し、生還した旧日本陸軍「烈」部隊中隊長、中野誠司さん=香川県三木町=がこの夏、…

NHKスペシャル満蒙開拓団 東宮鉄男の人となり

北京から満洲へ逃げ帰る張作霖の列車は、京奉線のクロス地点に於いて爆破されたが、このとき起爆スイッチを押したのは東宮自身であったとの説もある。もとより河本、東宮の行為は許されざるものである。しかし一方において、張作霖の苛斂誅求もこれまた揺る…

Y判士長

北一輝といえば、ずっと気になっていながらなかなか情報が集まらないのが、北西田の裁判で判士長を務めた吉田悳中将。生まれは東京だが、本籍は石原と同じ庄内。北西田処刑という陸軍当局の方針に対し、死刑の要件を満たしていないと真っ向から反対し、藤室…