香月清司中将について(3)

<香月中将軍司令官更迭事情異聞>
矢次一夫は『昭和動乱私史』の中で香月についていくつかのエピソードを記している。
一、香月は天津に赴任する前宇垣を挨拶をしに訪ねた。そのとき宇垣は不拡大方針を強く説き、香月も同感と答えたが、後に「状勢貴意に副い兼ねるやも知れず、ご容赦を乞う」という電報が送られてきたという。これは宇垣の直話だそうだが、宇垣の日記には香月が訪ねてきた記述は無い。

二、これは当時軍務課長であった柴山兼四郎の直話だそうだが、柴山が北支に出張し、不拡大方針を堅持するよう香月に伝えたところ、貴様軍務課長の分際で統帥権干犯の言をなすは許せぬ。始末書を書けと怒られたという。柴山は、書けというなら書きますと言って始末書を書いた。香月は彼が書き終わるのを待ち、不拡大というなら何故三個師団動員したのかと一喝。これには柴山も一言も無く、すぐにやめるように電報を打ちますといって部屋を出ると、下から上がってきた池田純久が、柴山さん、ここから打ったら(和知ら強硬派参謀に)すぐに洩れて大騒ぎになりますよという。已む無く柴山は大連に飛び、そこから打ったが、これを受けた東京では、電信係の某少尉が握りつぶしてしまい、陸軍省には届かなかったという。握りつぶしたというのは、後年当人が矢次に手紙をくれたのでわかったとか。

そして更に矢次は次のように書いている。

ところで奇怪なことは、香月軍司令官が満鉄から機密費五万円を貰ったという秘話があり、これが中央に洩れて、香月は後に予備に編入されたというのだ。これはまことに驚くべきことで、この頃の五万円は、今の五、六千万円にあたるだろう。この話を私に秘語してくれたのは池田中佐である。私は事実としても、香月が五万円を満鉄から貰ったのは、恐らく事変の機密費に使ったもので、一人占めしたわけではあるまいと思っていたら、池田の後任となった堀毛一磨中佐によると、私宅新築の事実があるというから、呆れた話であり、軽率のそしりは免れ得まい。

池田というのは既述の池田純久のことである。家云々の話は、東條の豪邸新築のような例もあるため、軽々しい決め付けは良くないと思う。私としては裏付けの取れないこの話を鵜呑みにはできない。まあとにかくこうして香月の名は戦史上からも完全に消えるわけだが、物語はまだ続く。


<補足:中島今朝吾の考察>
中島は香月の更迭について次のような考察を巡らせている。

 香月が金銭に清廉なことは予は今尚之を信じておるが、然し彼は世間に疎いので世の中の複雑なる関係を余り単純に看過した処に其の失策があると見るの外無し。
 興中公司からの慰問金十万と聞き、さてはと考えさせられる。次に石原の言というのも又聞きにしたが、其者が香月は金に清い人だというた時石原曰く、否や中々そうではりませんよ、人は見かけにもよらぬものだからと云うたとのこと、是に於いて其程度まで読める処がある。

石原嫌いの中島は、香月が石原にはめられたと推理している。中島自身後に美術品を京都の偕行社に送ったとかの廉でやがて予備役に編入されるのだから皮肉なものだ。中島も決して私するつもりでやったわけではなかったが、不用意という以外に無い。もっともこの中島の件も、真犯人は別にいるとの説がある。


<余談:鈴木率道の更迭>
ついでなので、もう一人金銭絡みで更迭された有名軍人を挙げておく。第二航空軍司令官だった鈴木率道が突然更迭されたのは昭和18年5月であった。鈴木は石原を抑えて陸大を首席で卒業したような人物で、作戦畑一筋、偏狭な難しい人物だったが、航空軍司令官としての評価は高かった。彼の更迭事情に関して、荒木貞夫は次のように語っている。

太平洋戦争中航空機の物資が非常に不足したので、そういうものを集めろといわれ、周到な男だから計画的にたくさん集めた。そこで表向きはどうか知らないが、三井かどこかあの辺が、こんなこともやった、あんなこともやったと素っ破抜いたらしい。三井は自分の手でやれば儲かるが軍でやったからいじめたのだ。

荒木は鈴木について、下村定によく似ているが、頭が特殊であった。だから敵も多く、(小畑以外は)誰も使えないと評している。

以上三人に共通するのは、鼻っ柱が強く、自分で考えて行動するタイプで、メインストリームからはやや外れたところにいたところだろう。特に鈴木と時の首相東條英機の仲の悪さは語り草となっている。であるからして、私としてもどうしてもこれらの人事の裏に、きな臭いものを感じてしまう。はっきりいって、彼らがやった事くらいなら、それ以上にあくどいことをしていた輩は相当いると思う。