林弥三吉中将重大声明

経歴
林弥三吉は石川県出身の陸士8期卒業(優等)。同期同郷の林銑十郎大将陸相、首相になったが、あちらの林は銑(鉄)だがこちらの林は鋼(鉄)だという評価もあった。参本欧米課長や陸軍省軍事課長といった要職を歴任。宇垣一成の腹心として終生その交友は変わらなかった。警察予備隊の初代総監、初代統幕議長の林敬三は息子である。

信条
軍人は政治に干与してはならない。またその行動は大命によらねばならない。政治に干与する場合は丸腰にならねばならない。といった考えの持ち主であり、またそういった内容の著述もある。

組閣参謀
宇垣に大命が下ると、林はその組閣参謀となった。他に集まった陸海軍人は和田亀治、原口初太郎、上原平太郎(以上陸)、山路一善(海)といった何れも予備役の将軍たちであった。また憲兵情報では松井石根も宇垣支持であり、憲兵司令官の中島今朝吾と電話で喧嘩をしたそうだ。この年の暮れの南京攻略時の二人の確執を思うと興味深い。宇垣に対しては石原莞爾片倉衷ら中堅幕僚の強力な反対があり、湯浅内府に宇垣についての陸軍の心象を尋ねられて「もういい時分だと思われます」などと暢気に答えた陸相寺内寿一もなすところなしであった。次官の梅津美治郎は公私に渡って宇垣とは縁が有り、内心では石原片倉の越規行為に腹を立てていた節もあるが、表向きは何もしなかった。

梅津氏は昭和十二年余の組閣妨害の張本責任者として追究せられありと。気毒の至りなり。大義に戻り私情を無視し権勢に阿附したりし当然の帰結なりとも謂い得る!
(『宇垣一成日記』昭和二十二年九月十八日)

声明文
宇垣が大命拝辞のため参内した其の日、林はマスコミを集めて声明文を発表した。これは宇垣にも相談無しの行動であった。渡邊行男『宇垣一成』に載っているのは原文かどうか分からないが、他に見当たらないのでこれを引用する。

私は頼まれて宇垣閣下のお手伝いに上った者であります。私はこの重大時局は、宇垣閣下に非ずんば断じて救い得ぬという信念をもっております。

これより、昨二十八日、河合操大将〔枢密顧問官〕とお会いしたときの事情をお話し致します。まず宇垣閣下の御挨拶として、
「軍の現状および世論は御覧のとおりで、権力の地位にある者数名が中心となり、当局を強要して軍の総意なりと言いふらし、それが大勢なりというごとく装うています。軍は陛下の軍であるが、過般来の行動は、陛下の軍の総意なりや、問わずして明らかであります。三長官の陸相後任選定のごときも、形式的のやり方だけあって、著しく誠意に欠けています。
現役将官個人のうちには、この際進んで難局に当るを辞せずとの意気を有する人もいるが、その進出が梗塞されており、もはや残されたところは、変通の手段を有するのみであります。世上伝えられる優諚を奏請するごときは考えたこともありません。自分の大命拝辞後の軍の成行きおよび君国の前途は、痛心にたえざるものがあります。私はいまは、ファッショか、日本固有の憲政かの分岐点に立っていると信じます。
軍を今日のごとく政治団体的状態に至らしめたことは、私もまた微力その一部の責を負うべきであるが、聖明に対してただ恐懼に堪えません。いまや御採納になるかどうかは拝察の限りではありませんが、最後の軍に対する手段として、陸軍大将の官を辞する決意を固めました。
もし私の所見に同意ならば、一臂の力を垂れられるの余地なきや、お伺いいたしたい。多年の愛顧を蒙り、軍の長老であられる閣下に対して、軍と訣別する前において、愚見を申し述べて御諒承を得たいと存じます」
と申し上げました。

河合大将はこのとき泣かれて言われました。
「辞表がなおお手許を離れていないならば、この際切に思い止まられんことを望みます。自分の見るところでは、決して軍の総意で閣下を排斥しているのではないと信ずる。しかしながら三長官の決議とあるが故に私は今まで躊躇していたわけである。この時局は宇垣閣下に非ずんば断じて救い得ないと思うから、最後の御努力を祈る次第である」

そこで私〔林中将〕は三長官の決議について十分御検討をお願いしておきました。

次に林中将は自己の所信を述べた。

首相は文官であります。文官たる首相が軍の統制に何の関係がありましょうか。軍の統制は軍の首脳がしっかりしていればよいのであります。故に宇垣閣下が首相となられても、軍の統制になんらの影響なしと信じます。然るに、その統制を保ち得ぬとは何たるブザマでありますか。そもそも組閣行為は純然たる政治行為である、これに向って軍をひっさげて反対するとは違勅ではありませんか。軍の発表では、軍の総意とあるが、陸相は果して陛下の御裁可を経て発表されたものであるか。まさか陛下はこんな政治進出をお許しにはなりますまい。

陸軍は「内容が穏当を欠く」としてこの文を新聞掲載禁止とした。林は同じ趣旨の文をビラにして撒いたため、陸軍内部では林逮捕を求める声が上がった。中島今朝吾は部下憲兵を置いてきぼりにして独走する癖が有り、このときも即座に林の逮捕を東京憲兵隊長の坂本俊馬に命じた。しかし坂本の下にいた上砂直七中佐や林秀澄少佐はこれに面従腹背の態度を取った。


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