最後?の大本営参謀瀬島龍三元中佐長逝

瀬島龍三中佐経歴
http://imperialarmy.hp.infoseek.co.jp/general/colonel04/sejima.html
昭7・7 陸士卒(44期)
7・10 任歩兵少尉・歩兵第35聯隊附
9・10 任歩兵中尉
10・1 歩兵学校通信学生
10・12 第9師団通信隊附
11・8 陸士予科生徒隊附
11・12 陸大入
12・11 任歩兵大尉
13・12 陸大卒(51期恩賜)
14・1 第4師団参謀
14・5 第5軍参謀
14・11・22 参本部員
14・12・27 兼大本営参謀
16・10 任少佐
19・8 兼軍令部員
20・2 兼聨合艦隊参謀
20・3・1 任中佐
20・7・1 関東軍参謀
31・8 シベリアより復員

こういうブログやってるんで一応取り上げます。が、僕はあんまり興味無いんですよ。保阪氏なんか熱心に追いかけておられますけど。陸大首席ったって毎年1人は出るわけですし、大本営参謀もたくさんいます。連合艦隊参謀を兼任した例だって島村矩康大佐など何人もいますし。戦後の活躍と長命が利いてるんでしょうかね。ちなみに、陸大は首席でしたが、陸士は2番でした。彼を抑えたのは騎兵科の原四郎中佐でした。原中佐は陸大は瀬島中佐の一期後で、やはり首席です。
妻は二・二六事件の松尾伝蔵大佐の娘で、松尾新一中佐は義兄だか義弟になります。この松尾ー岡田(啓介)ルートも、瀬島氏を大物化する要因の一つではないかと思います。
戦後、草場辰巳中将、松村知勝少将とともに、東京裁判の証人としてソ連から一時東京に連行されましたが、このとき草場中将は、ソ連側の隙をついて服毒自殺を遂げています。草場中将の自殺は、大陸鉄道司令官として、多くの在満邦人が殺されたことの責任を感じてのことと言われています。瀬島中佐は証言を終えると、ソ連に連れ戻され、他の高級将校と同じく昭和31年まで抑留されました。