【書評】宇都宮太郎日記

日本陸軍とアジア政策・陸軍大将宇都宮太郎日記3(感想2)

1919(大正八)年前半 この年宇都宮太郎は、年始から天道教の幹部と会ったり、朝鮮人軍人の待遇改善を要求したりと、鮮人悦服を目指し余念が無かった。そんな中で三・一事件が起こる。三月一日 土 晴 午前、秋山大将、野田逓相、古賀長官を朝鮮ホテルに…

日本陸軍とアジア政策・陸軍大将宇都宮太郎日記3(感想1)

1918(大正七)年 この年の宇都宮の現職は大阪の第四師団長。三月八日 金 曇 村岡大佐へ頼みありし池袋師範には未だ学歴書も願書も出して無きとの事にて、寿満子よりの請求により大急にて両人の学歴書二通を送る。初め心配を頼みしは昨年十一月中のこと…

読みながら書く『陸軍大将宇都宮太郎日記2』感想(9)

1916(大正5)年 九月四日 月 晴 午前八時より騎兵第四連隊(長、中佐三好一)初度巡視(成績は不良の方にて、新連隊長の下に改善しつゝあれども、未だ著しき成果を収むる能はず、一般に弛緩、敬礼、練兵(徒歩)共に不良にして、乗馬も不良にして見劣…

読みながら書く『陸軍大将宇都宮太郎日記2』感想(8)

1916(大正五)年一月十二日 水 雪 本日の新聞に、枢密顧問官陸軍中将子爵高島鞆之助、京都にて脳充血にて頓に薨去の旨電報見ゆ。驚入りたる次第なり。中将は陸軍大臣たりしこともあり、二十七、八年の役には南進軍司令官として渡台し、余は大尉にてその…

読みながら書く『陸軍大将宇都宮太郎日記2』感想(7)

1915(大正4)年 五月二十七日 木 曇 友人斎藤力三郎(第十八師団長)病死の趣に付き、弔電並に香典を電送す。尋で松石安治(ヨビ中将)亦た病死の旨新聞に見ゆ、弔電を送る(番地不慥に付き、香典は帰宅取調の上送らんとす)。松石遂に死す。神頭は今…

読みながら書く『陸軍大将宇都宮太郎日記2』感想(6)

1914(大正3)年 二月十八日 水 曇 本日食堂に於て、毎日の例に依り彼等長閥の面々、内閣及陸軍大臣を熱罵し、海軍の収賄問題、十六日騒擾に対する衛戍総督の応急準備、陸軍大臣の議会に於ける答弁の辞尻(軍隊内には云々に付、師団長等憤慨すべし云々…

読みながら書く『陸軍大将宇都宮太郎日記2』感想(5)

1913(大正2)年 九月五日 金 晴 午后十時、将に入寝せんとするの際、小村欣一宅より、政務局長阿部守太郎、伊集院を迎へて帰宅、将に門に入らんとして刺客に刺されたる旨電話あり。直に見舞ひしに重体、甚だ気遣わし。41歳の若さで局長となった阿部と…

読みながら書く『陸軍大将宇都宮太郎日記2』感想(4)

1913(大正二)年 一月七日 月 晴 約に依り、午前八時桂総理大臣を三田の自邸に訪ふ。首相は満蒙問題解決(其程度は低く、安奉線、旅大を、出来れば九十九年、已むを得ざれば五十年延期を得て満足せんとするの意を漏せし故(中略))に意あること、其外…

読みながら書く『陸軍大将宇都宮太郎日記2』感想(3)

1912(明治四五/大正元)年 十一月二十五日 月 晴 午后、樺山資英宅にて内務次官床次竹二郎と会見、増師問題に付き論争。彼れは怒気を帯びて去る。樺山も床次も薩摩人である。二個師団増設問題について三人で対応を練っている。十一月二十六日 火 晴 余…

読みながら書く『陸軍大将宇都宮太郎日記2』感想(2)

1912(明治四五/大正元)年 八月三日 土 晴 午后、志波今朝一来宅(小倉市長候補を思立ち、余をして奥元帥に説せしめんとのことなれども、此際と云ひ又た元帥と余との関係と云ひ、無効なるのみならず却て有害なるべきことの理を詳説して還へす)。志波は…

読みながら書く『陸軍大将宇都宮太郎日記2』感想(1)

通常書評というのは、其の本を通読した後に書かれると思います。私もそうしてきました。しかし今回は違います(威張ってる訳ではない)。読みながら書きます。というのもこの本はリリース後間も無く購入していたのですが、今の今までほったらかしにしていま…

宇都宮太郎日記1911

1911(明治四四)年 一月八日 日 晴 午后四時頃より、約により少将田中義一来訪。将来の国事に就き意見を交換し、且つ之れが為め偏狭なる郷関等を眼中に置かず、有為の人士と協力するの必要なりと云ふことに双方の意見一致し、先ず手始として海軍の財部…

宇都宮太郎日記1910

結構長い間探してた(といっても血眼になるほどではないが)ピゴットの『絶たれた絆』を手に入れました。朝、起き際に何となく閃くものがあり、トイレに行くより先に日本の古本屋で検索して発見。こういう勘だけは効くんだよなあ。 以上閑話。1910(明治…

宇都宮太郎日記1909

1909(明治四二)年 五月二十二日 土 晴 篠塚中尉来訪。義兄負債の抵当に供せし其家邸の竟に人手に委せざる可からざるの悲報を報ず。<注釈> 篠塚義男は歩一の将校の中で最も頻繁に宇都宮家を訪れている人物である。かつては自邸の庭に実った柿を持って…

宇都宮太郎日記1907-1908

1907(明治四十)年 一月二十八日 月 晴 平山信成長女春子を歩兵大尉松井石根に勧め、今日手紙にて再考の余地あるや否やを尋ねしに、自分は総長の宴会故来れず、弟七夫をして来事情を打明け陳謝せしむ。要は親父の負債一万二千もありて之を兄弟四人にて…

宇都宮太郎日記

3.1事件に合わせて朝日新聞が大々的に取り上げた、宇都宮太郎大将日記の第1弾。実は連休には読了しており、やや時期を逸してしまったが、付箋を頼りに改めて読み直し、気になった箇所を取り上げていく。 まず全体の感想から言うと、非常に面白かった。値…