地域医療で「逝き方」を考える

朝日新聞be

おばあちゃんが自宅の窓から手を振っている。訪問診療を終えた中村さんの車に向かって、いつまでも、いつまでも……。
90代。耳が遠い。目もよく見えない。心臓の病気もある。それでも、介護サービスを受けながら、自宅で一人で暮らす。
「おかげさま」「お互いさま」と支え合って生きていける地域に。住民と一緒になって中村さんが求めてきた医療と介護の姿がここにある。
診療所のある福井県おおい町の旧・名田庄村地区は人口約3千人。交通不便な山間部で、65歳以上の高齢者が3割を占める。同地区では唯一の診療所であり、ただひとりの常勤医師だ。
朝8時30分、診療開始。
診察室が一気に慌ただしくなった。外来患者は1日平均65人。超音波検査、内視鏡検査など何でもこなす。診療放射線技師がいないので、X線機器も自分で操作する。突然、子どもの泣き叫ぶ声が響き渡った。手にけがをした女児が運ぱれてくる。無影灯を点灯。指の傷口を針で縫う。昼食をとる間もなく、車に乗り込んだ。午後は訪問診療に飛び回る。
診療所に赴任したのは19年前。へき地勤務の義務がある自治医科大を卒業して3年目だった。当時は外科医の道を歩みたいという希望もあった。しかし、名田庄で患者と接するうち、自分の目指す医療がこの地にあると思い定めた。
今年6月、患者を自宅で看取った体験を著書「自宅で大往生」にまとめた。本に出てくる亭主関白だった夫は、妻にこう言い残している。
「これまでありがとう。家で死わて、ええ人生やった。お前も最期は中村先生に、ここで看取られて死ぬんやぞ」
この最期の言葉は、中村さんの心にもしみわたったという。
中村さんが看取るときの言葉は「ご臨終です」ではない。
「さようなら。おつかれさまでした」
おじいちゃん、おばあちゃんと長い年月にわたって心を通わせ、最期を看取ってきたから見えるものがある。人は得てして生き様を凝縮するように亡くなる時を迎える。「生き方」は「逝き方」だ。「最期は住み慣れた家で逝きたい」との願いはかなえることができる。がん末期でも、薬で痛みを抑えるのは難しくない時代。介護保険のサービスも利用できる。名田庄地区の在宅死亡率は4割超で、全国平均の倍以上になっている。
地域への思いは、時として医師の枠を超える。2000年の介護保険導入前後は村役場の保健福祉課長を兼務した。導入に備えて現場を指揮し、住民に説明し、議会で答弁もした。
今も通所介護などを提供する保健福祉総合施設のまとめ役を担う。隔週水曜日の会合では、看護師や介護スタッフたちと「あのおばあちゃんの病状は?」「誰が診療所に送り迎えする?」と、医療と介護の両面から支援策に知恵を出し合う。
地域医療・介護のプロフェッショナルとして注目され、全国の自治体、病院、学会、医学生などから講演に招かれる。
神の手を持つ外科医ではない。大病院を率いるリーダーでもない。でも、地域住民の命と健康を守るために何をすべきかを考え披いて実行する。こんな医師を時代が求めている。

中村伸一医師。趣味はハードロック、昭和プロレス。(プロフィルより)