『秋山好古』小ネタ集

鼻垂れ
子供の頃の好古は非常に弱い子供であった。母親の貞子は「この子は一人前の人間になれるだろうか」といつも心配していた。秋山家に50年仕えた女中のお熊婆さんは「いつも鼻汁を垂らしてよく泣く坊さん御座いました」と述懐している。いつも鼻を垂らしているので仲間からは「信公の鼻垂れ」だの「鼻信」だの呼ばれた。

兄を救う
好古の少年期はまだ男色の蛮風が残っており、御若手連という連中が横行していた。好古の次兄寛二郎は有名な美少年であったが、或る日御若手連に養成舎の一室に連れ込まれたことがあった。それを聞いた好古は兄の一大事とばかりに、多くの年長者を恐れずに養成舎に到り、兄を救い出した。

寝床
若い頃の好古は宴会などで如何に遅くなっても外泊しなかった。そして冬の寒い晩などは、隣室に寝ている村上正(騎兵将校)を「オイ正、起きい」と起こし、自分は温まった村上の寝床にもぐり込み、自分の冷たい床に村上を寝かせた。

虱退治
日清戦争では出征から8ヶ月間一度も入浴しなかったばかりでなく、顔もめったに洗わなかった。従って天気の良い日は、常に日向ぼっこしながら虱退治をしていた。それを見た兵隊は「そらまた大隊長の虱退治が始まった」と笑ったものだが、好古は「俺には特別虱が多いのじゃよ」と笑って応えた。

目録
中国から帰任した好古を迎えた家人は、荷物の中に目録は沢山あるが実物が一つも見当たらないので不審に思い「品物はどうされました」と尋ねたところ、好古は「皆やってきた。折角じゃから目録だけは貰うてきたんじゃ」

副官
中屋副官が病気で一時旅団司令部を離れて、療養していたことがあった。快癒した中屋がようやく司令部に追いつくと、好古は「馬鹿ッ!困ったぞ!困ったぞ!待ちかねとった。戦争で病気する奴があるか!」中屋はその言葉に部下に対する言い知れぬ信頼と慈愛を感じ、涙を禁じえなかった。


乃木大将が旅団司令部を訪れた。「酒を一升ほど買ってもらおうかな」という大将に、中屋副官が「いえ、酒は買わんでも、司令部に御座います」と応えた。大将は「うむ、そうか、それならわしが美味いものを御馳走しよう」と、伝令にスッポンを持参せしめ、「炊事場は何処かえ」と自身でスッポンを料理し、「よしよしこれで出来た。秋山もまだ戦地では、スッポンを食べたことはなかろう」と、自ら皿に盛って出した。

入浴
日露戦争中、好古は、副官や従卒が如何に勧めても「戦場に湯に入りに来たんじゃない」といって如何しても湯に入ろうとしなかった。好古が日露戦争中に入浴したのは、上陸後約十日目くらいの曲家店に於いてと、母長逝の知らせを受けた二牛所口に於いて、そして平和克復後の遼陽に於いての三回だけであった。そのため暇があれば、背を柱に擦り付けていた。奉天で福島安正と再会したときの挨拶。「やあ暫く。虱はまだわくかね」「うむ。まだわくよ」と応えた福島に、「そんならええが、人間虱がわかなくなると、もう駄目だよ」

蝿入りビール
極めつけがこれである。尋ねてきた外国武官と、卓を囲んでビールを飲みながら会談をしていたとき。ビールのコップには常に蝿がたかるので、皆それを払いながら飲んでいたが、好古のみは蝿を追おうともせず、蝿が浮いているビールをそのまま飲み、指で一つ一つ蝿を口から取り出しては捨てた。外国武官は皆、愕然として目を見張り、驚嘆して帰った。

会話
好古は出征中、およそ寒暖晴雨に対するグチを一言も漏らさなかった。中屋副官が「今朝は寒う御座います」と言えば「うむ、寒い」と応える。「今日は暑くなりました」と言えば「うむ、暑い」。「雨が降って困ります」と言えば「困る」。およそこんな感じであった。

居眠り
万国平和会議に陸軍代表として行った時。ブラジル全権が機雷沈設可否について大演説を為し、満場がこれに聞き入っているとき、好古は例によって誰憚ることなく鼾をかき始めた。都築全権がしきりに睨むが、もとよりそんなことで起きるはずは無い。三時間余り続いた演説がようやく終わり、皆が立ち上がると、その音で目覚めた好古は、「大議論でしたなあ」と立ち上りながら大欠伸。都築全権がやや怒気を含んで「貴方は眠っていたじゃないですか」というと「いや、要領だけは判りましたよ」

騎兵の襲撃
ホテルのサロンで安楽椅子を揺らして遊んでいた好古は、勢い余ってひっくり返り、足で卓を跳ね上げた。その物音に一同驚いて立ち上がり、英国のオットレー氏が「エクスプロージョン オブ マイン」と冗談を言ったところ、好古はゆっくりと立ち上がり応えた。「ノン ラタック ド キャバルリ」一同その諧謔にドッとわいた。

ホテルの部屋
海軍代表の島村速雄が風呂上りに好古の部屋を訪ねたところ、「君は何処で風呂にはいったんじゃ」と聞かれた。島村が「自室の風呂じゃよ」と応えると、「そうか、俺の部屋には風呂が無いんじゃ」という。「いや、そんな筈はない」「確かに無い」と押し問答の結果、二人で部屋を探すと、隣に立派なバスルームが付いていた。大笑いした後、島村が「では、君はまだ風呂にはいったことないのか」と尋ねると、「うむ、まだはいらんよ」とのこと。「そら汚いなあ」とあきれる島村に「なあに、風呂へはいらんでも死にやせんよ。俺は満洲出征中は風呂など滅多に入らなかったのじゃ」

手土産
第13師団長時代、好古の乗る列車が大雪で立ち往生したことがあった。列車内では菓子類で飢えを凌いでいた。将軍立ち往生を聞いた在郷軍人が次々と見舞いに来たが、何れも酒徳利持参で、飯を持ってきた者は一人もいなかった。

刺身
群馬県に出張したとき、宿屋の夕食に出た刺身が舌を刺すような味がした。副官が好古の部屋へ行き、不注意を陳謝すると、好古は既に刺身を平らげた後だった。好古は笑いながら「田舎に来て贅沢言うな。土地の人間は味の変わった刺身を当たり前と思っているのじゃ。勢いの良い刺身などこの辺の土地の者は食べたことないのじゃ。その辺によく気をつけるものじゃ」

校長
北予校長時代、好古は教師の欠勤による休講を非常に嫌い、そんなときは自ら補欠教授となり、連続二時間でも喜んで授業をした。

最期
好古危篤の報を聞いて、同期の本郷房太郎が駆けつけ、「秋山、本郷が判るか。馬から落ちるな」と言うと、好古は目を開き微笑み、「本郷か、少し起こしてくれ」と言った。皆、起こせば良くないことは判っていたが、本人が望むので、本郷と次男の二郎が抱きかかえて起こした。暫くして再び寝かすと、そのまま永き眠りに入った。

続く