作家になった司馬遼太郎のお手伝いさん

5月7日朝日新聞朝刊「ひと」欄より村木嵐さん

司馬遼太郎さんに仕えた歴代11代目にして最後の「お手伝い」さんが、作家としての登竜門をくぐった。弾圧される「切支丹」を描いた歴史小説マルガリータ」で、松本清張賞の受賞が決まった。
「先生のお供」をしたのは、司馬さんが1996年2月に亡くなる直前の3ヵ月間。そのまま今も大阪府の「司馬家」に住み込んでいる。現在の肩書は、司馬さんの妻である福田みどりさんの「秘書」だ。
会社員だった95年、尊敬する作家の近くにいたくて手紙を書き、採用された。作品への愛をつづり、自身が自転車で転び田んぼに落ちた体験も添えた。「手紙が面白かった」と、みどりさんに言われた。
でも家事は苦手。掃除をすると、司馬さんに.「部活動みたいだね」と笑われた。大切なつぼの取っ手を壊したこともある。司馬さんは「ボンドでくっつけておいてね」と言うだけで、しからなかった。
「作家になれる」。司馬さんとみどりさんの言葉が執筆のきっかけに。2005年に初めて書き、「こんなに楽しいんだ」と気づく。
天井まで届く書棚を懐中電灯で照らしながら資料を探す。分かり切った年号も年表にあたって確認する。大作家の身近で学んだのは「資料調べの大事さ」だった。家に今も残る広辞苑は、司馬さんの書き込みであふれている。
3ヵ月を「宝物」に、「皆に楽しんでもらえる小説」を書いていく。