ドルジ

自分の感覚では「嘘だよな」「おまえそれ本気で言ってないよな」というようなことが、どうしてどうして当人全然本気だったりすることが多い昨今。内館牧子やくみつるの横審も、私は最後の最後までジョークとしか思えなかったが、当人たちはあれ至って本気なんだよね。
来月の松原隆一郎センセイの「教えて、教授!」はまずドルジネタが来るだろうけど、その前にゴン格2009年12月号の「教えて、教授」をどうぞ。

今回朝青龍がガッツポーズして揉めましたよね。僕はぎりぎり悪くないと思っていますが、内館牧子が”惻隠の情”がどうこうと非難している。”側隠の情”なんて相撲の規定に書いていますか? 僕はガッツポーズを朝青龍がやったとしても、”惻隠の情”の白鵬が控えているなら許されるべきだと思う。全員が朝青龍みたいだったら、僕も嫌なんだけど(笑)、白鵬だけでも面白くない。ああいうヒールも一人ぐらい必要です。ひょっとしたら内館牧子を横審に入れていること自体、亀田的な話題を狙っているのかなと邪推したくなります(笑)。批判させること自体が、業界のコマーシャルになっているという。
内館牧子は技術論までしていて、それはチャンチャラおかしいんですが、実は相撲は素人が知ったかぶりで技術論を語れるところが素晴らしいとも言えます。内館牧子の技術綸が新聞に出ること自体、すごいじゃないですか。妄言も商品になるんだから。

ちなみに今朝の朝日新聞で一番良いこと言ってたのは、六十四代横綱。その横の歌舞伎役者は酷かったが。

朝青龍の引退は残念だし、今はお疲れ様という言葉しか思いつかない。
あれこれと問題を起こした朝青龍だけど、僕が横綱に昇進した時と同じような状況ではなかったかと思う。
僕が外国出身力士として初の横綱に昇進したのは1993年初場所の後だった。92年春場所八角親方(元横綱北勝海)が引退して、だれも横綱がいなかった。先輩がいない中で、64人目の横綱になった。いざ横綱となった後、どうしたらいいのか、だれを見習ったらいいのか、本当に分からなかった。
昇進したとたんに、その品格、力量を問われ、心技体の充実が当たり前の存在である横綱。周囲からはこうあるべきだ、ああするべきだ、といろんな人が言ってくる。どうしたらいいのか。一人ひとり言ってくることが違う。
必死に周囲の期待に応えようと思うのだけど、頭の中が混乱してしまって、どうしたらいいのか、本当に分からなくなった。横綱は単なる相撲のチャンピオンではない。24時間、どこにいても横綱横綱。そうは分かっていても、何でここまで言われなければいけないのか、分からなくなった時期もあった。
横綱はいつ、誰に見られているかも分からない。そんな中で、朝青龍は周囲と必要以上に「壁」を作ってしまったように見える。今回の問題もそれが一つの原因だったと思う。本当はもっと自然体でいればよかったのに。
朝青龍は同じ高砂一門だったし、新弟子に入ってきた時から性格がよくて、かわいい存在だった。朝青龍が思い出の一番として横綱武蔵丸に勝った時のことを挙げていたけれど、あの時、僕は記者クラブ担当で、東の花道の脇にある記者クラブ室にいた。朝青龍が駆け込んできて「勝ちました」って言ってきた。あんな純粋な姿が本当の朝青龍の姿だと思う。あの時の姿のような形で今もいてくれたならば、と残念でならない。
それともう一つ。朝青龍にとって不幸だったと思うのは「一人横綱」の状態が長く続いた点だろう。僕の場合は同期のライバルで貴乃花若乃花がいた。それでも約1年間、一人横綱の状態が続いたが、どこに行っても土俵の責任はすべて自分にかかってくる。その重圧は務めた人間じゃないと分からないだろう。
ただ、そういう重圧を一身に背負うことも含めての横綱という存在だ。横綱といっても一人ひとり、その性格も違うし、持ち昧も違う。
だれでも横綱になりたくて角界に入ってくる。横綱になっても、重圧だけ引き受けたくない、嫌だ、というわけにはいかない。だからこそ、長い相撲の歴史の中でも、69人しかなっていないのが横綱なのだと改めて思う。