元帥畑俊六回顧録

というものが去年出版されていた。私は全然知らなかったのだが、昨年末、仕事の本を買う時に、レジに行く途中で全く偶然目にして、発作的に確保した。しかし、年末年始、新型インフルエンザで寝込んでいたので、まだ殆ど読めてはいない。畑俊六というと、既にみすず書房などから日記が刊行されており、そこら辺との兼ね合いが気になるところだと思うが、面倒なので下の写メを見て頂きたい。現代史資料や巣鴨日記とは被っていない。尤も、回顧録の、父母兄妹を振り返った部分は、現代史資料に収録されているものと殆ど同じだと思うが。


さていつもの癖で、索引から多田駿の載っている部分だけ先に読んだのだが、一カ所だけ目新しい表現があった。

尤も当時板垣が陸相とし東條が次官として、一方参謀本部側には多田が次長として石原などが之を取巻き東條と多田がいがみ合ひ、板垣が困却の果喧嘩両成敗として、多田を満洲の東正面軍司令官(第三軍)に追ひやり東條は創立せられたる航空総監に任ぜられていはゞ栄転の形となりたれば、多田はいたく板垣の遣口に憤慨し板垣に公私共に絶交とまで申し入れたるも其後いつしか解けたるものなりと板垣より聞きぬ。(P154)

絶交って・・・
もう一つ、これは多田と関係ないが、

例のオツチヨコの有末精三

という記述がある。これも日記にはなかった表現だ(と思う・・・)。

過去記事より畑俊六日誌

ところでこのブログも6年目である。私は今年はおめでとうは言えないが。去年は30年生きてきて一番悲しい年だった。果たして今年はどんな年になるか・・・