【感想】軍人の日記回想

私の昭和史

2月26日。といっても今年も特に何もしないんですが、末松太平元大尉の『私の昭和史』が中公文庫より出版されました。とにかく軍人の回想録は数多あります。私も相当数所蔵していますが、この本はその中でも五指いや三指に入ると思っています。まだ読んでいな…

ある陸軍軍人の生涯

岡崎清編著『岡崎清三郎抄伝 ある陸軍軍人の生涯』岡崎は秩父宮殿下の英国御外遊に付き従った。殿下はご自分で自動車を運転するのがお好きだった。北白川宮殿下の事故もあったので、岡崎は何度もやめていただくよう進言したが、殿下は「英国では皇太子を始め…

風と雲と最後の諜報将校

原田統吉『風と雲と最後の諜報将校』自由国民社陸軍中野学校二期生の手記である。二期は社会人として世間の飯を食ってきた人間が多かったので、主に予備士官学校から集められた学校出立ての一期生より冷めたところがあったそうだ。当時中野には伊藤佐又とい…

月白の道

丸山豊『月白の道』創言社初版は昭和45年であるが、私が落手したのは62年に出た増補版である。水上源蔵少将を巡る一連の有名な電報は、この本がそのみなもとだろう。著者(軍医中尉)は、水上少将の側に仕えていた人物だった。副官に案内されて、かつては英…

将軍たちの黄昏

松川敏胤の大正年間の日誌を読むと、将軍たちが次々予備役に入れられる様が、これでもかと記されている。工兵監だった落合豊三郎は、浅田信興教育総監によって師団長が約束されていた。しかし奥保鞏元帥と長谷川好道の反対にあい、東京湾要塞司令官という閑…

元帥畑俊六回顧録

というものが去年出版されていた。私は全然知らなかったのだが、昨年末、仕事の本を買う時に、レジに行く途中で全く偶然目にして、発作的に確保した。しかし、年末年始、新型インフルエンザで寝込んでいたので、まだ殆ど読めてはいない。畑俊六というと、既…

松川日記

(日露)戦前の松川敏胤の日記を読んでまず目につくのが田村怡与造への批判。「軍政あるを知りて戦略戦術あるを知らず」当時田村は参謀本部次長で松川は第一部長。どうも松川からしたら、田村は自分を軽んじているように感じたようだ。また田村は対露戦も慎…

松川敏胤大将の手帳及び日誌

日露戦争では満洲軍の参謀だった松川敏胤の日誌が、ここにある。國學院大学大学院の長南政義氏が翻刻されたもので、私は氏から直接送っていただいた。感想を書くと約束しながら、まだ果たせずにいるのが心苦しいが、、、 今、これをドラマ(坂の上の雲)を見…

その後の二・二六

あるブログで知った池田俊彦さんの『その後の二・二六』を購入し読了。副題の「獄中交遊録」が示すとおり、小菅の刑務所での池田さんの思い出を綴ったものだ。当時の小菅には左右の大物が勢ぞろいしていた。井上日召、古内栄司、小沼正、菱沼五郎、橘孝三郎…

遠藤三郎の戦後

前記の山西残留問題における日本側の最高責任者は第1軍司令官の澄田中将だが、その次にくるのは第114師団長の三浦三郎中将となる。三浦は数少ない(唯一?)憲兵出身の師団長であるが、河本大作による残留将校の区分によれば、彼は利権派であり、実際帰れる…

金と銀

大山柏『金星の追憶』当時陸大兵学教官で最も口の悪い工兵出身の高○中佐(十七期)がいた。この人は頭が余りにも鋭ど過ぎて剃刀の様で、常に辛辣な批判をするので往々誤解を受け、為に有為の材を持ちながら陸軍生活も短命に終った人であり、「口は禍の元」を…

辻政信著作集

via http://jseagull.blog69.fc2.com/blog-entry-555.html 辻政信の『潜行三千里』が毎日ワンズというところから再販されているそうだ。元々毎日新聞社から出ていた本だけに、その系列なのだろう。辻は戦後多くの著作を出している。出版順ではなく中身の時系…

小磯国昭『葛山鴻爪』

小磯の自伝をぱらぱらと読み返した。獄中で書かれた900ページを越える大著だ。装丁や外箱まで自分でやるなど芸が細かい。日韓トンネル議連とかいうのがあるらしいが、日韓トンネルといえば小磯である。彼は少佐のときに、対馬海峡隧道案というのを書いて…

同期の雪

『二・二六事件秘話 同期の雪 林 八郎少尉の青春』小林友一 『小林友一追悼録』刊行会(編纂委員長 山口 立)二日早いが関西でも雪が降った。小林友一少佐の同期(陸士47期)からは数名が事件に参加したが、特に刑死する林八郎とは格別の間柄であった。そ…

神がかり参謀

棚橋信元『神がかり参謀ー神々は生きているー』 最初に断っておきますが棚橋信元と棚橋茂雄は同一人物です。参謀本部部員時代以来、神がかりといえば、アイツだ、神様のことならアイツの所へ行け、というわけであった。私自身は、あたりまえのつもりでやって…

或る兵器発明家の一生

南部麒次郎中将の自叙伝である。筆者が最終的に筆をおいたのは昭和17年、出版は28年。出身地は佐賀。陸士は2期。兵科は砲兵。2期の砲兵は卒業者19名だが、南部の卒業席次は11番。ちなみに一つ上の10番が鈴木孝雄で、砲兵科首席は小野寺重太郎。…

四王天延孝回顧録

本を読んでいて面白い部分を見つけると、極力付箋を貼るようにしてます。でもしばらくすると、そのエピソードがどの本に載っていたか思い出せなくなり、折角の付箋もあまり役に立ちません。書くというのは大事ですね。そういえば学生時代も私は書いて覚えて…

湖南戦記

小平喜一著 光人社NF文庫 休日出勤のお供にと何気に買った一冊。副題は知られざる日中戦争のインパール戦。支那戦線最大の敗戦である芷江(シコウ)作戦を描いた書。著者は独混第81旅団の下士官だった。 支那における我が軍は連戦連勝であったわけではな…

軍参謀長の手記

友近美晴は広幼出身(首席で卒)、陸士32期、陸大は41期。まずは世代のトップグループに属していたといってよい。第14軍参謀副長から、新設された第35軍参謀長に就任。一時期、参謀副長となるが(参謀長として和知鷹二が来たため)、また参謀長に返…

東條秘書官機密日誌

いつまでも愚痴っててもしょうがないので、適当に書き散らすことにしました。この本の著者、赤松貞雄は徹頭徹尾東條サイドの人間ですので、星野直樹に好意的です。ではその反対側に居るのが誰かというと、岸信介ですね。武藤章のブレーンだった矢次一夫は、…

鈴木貫太郎・孝雄兄弟

兄弟或いは親子で大将という例は幾つかあるが、それが陸海軍分かれてとなると、2組しかない。西郷兄弟と鈴木兄弟である。ただし西郷兄弟は草創期の人物で、いきなり大将或いは少将に任官されたことを考えると、正味の陸海軍兄弟大将は鈴木貫太郎・孝雄兄弟…

承詔必謹

河辺虎四郎中将は富山出身の陸士24期。陸大は恩賜。支那事変勃発時の参本第二課長(戦争指導課長)であり、終戦時は参謀次長であった人物。ウ号作戦の河辺正三(まさかず)大将は実兄にあたる。本書は、参謀次長時代の中将の日記と、その部分に対応した回…

私の昭和史

私の昭和史 末松太平 みすず書房 1963いや〜 これはホントに良い本ですよね。 昭和の軍内闘争史をやる上で、所謂一部将校、青年将校と呼ばれる人々を一纏めにしてしまう人が結構いますが、この本を読めばどうしてどうして、青年将校と謂えども色々あるという…

畑俊六日誌

続・現代史資料(4) 陸軍 畑 俊六日誌 みすず書房日記を書く習慣を持っていた軍人は多い。その大半は未刊行であるが、それでもかなりの数の日記が世に出ている。日記はその人の人となりを良く現す。几帳面な人、真面目な人、自信家、堅物etc畑は、その謹厳…

将軍の息子

大山柏『金星の追憶』鳳書房1989著者大山柏は、日露戦争の満洲軍総司令官・元帥陸軍大将・公爵大山巌の嗣子である。母は会津藩家老山川浩の妹で、津田梅子らとともにアメリカに渡った山川捨松。著者自身も陸軍に入ったが、軍人としての将来には早々に見切り…

昭和の聖将

あの地震から今年で10年ですが、大正12年にも大きな地震が日本を襲いました。関東大震災です。そのとき今村少佐は洋上にいました。彼は上原勇作元帥の南洋諸島視察に随行していたのです。大被害を受けた東京湾に着いた彼は、その足で参謀本部に向かい、そこ…

日露戦争

今年は大東亜戦争敗戦から60年、阪神淡路大震災から10年などなど 色々と節目の年ですが、やはり最も御目出度いのは日露戦勝100周年でしょう。 そこで今回紹介する本は、日露戦争30周年を記念して行われた「日露戦争回顧座談会」 を収録した朝日新聞…