南京、捨てるべきか護るべきか

蒋介石が南京防衛のために集められた兵力は僅か12箇師12万と言われている。上海で18万の死傷者を出しているのでこれも致し方ない所だろう。大勢の高級将校は「固守」に反対した。白崇禧は遊撃戦を主張し、劉斐は一応抵抗した後すぐに撤退する「象徴的な防衛」をしようと主張した。文官では、近衛内閣との和平を唱えていた胡適を逮捕しろと唱えていた居正が、一転講和を主張するようになった。期待したソ連の出兵も絶望的であった。しかし蒋介石は死守を選択し、同じく死守派の唐生智を衛戍司令官に任命した。トラウトマンを介して日本側から出てきた講和条件が厳しいことに蒋介石は、安堵した。これなら無視できると。これは、ハルノートを「天佑」だと喜んだ我が参謀本部の反応と同じである。