個人的と健さんは渋った

5月16日朝日土曜版be

主役の高倉健さん(78)はうろたえていた。
「えっ、そんな個人的なこと、まずいんじゃないですか……」。それだけ言って黙りこくった。
99年1月、東京・高輪のホテルの一室で、降旗康男監督(74)は映画「鉄道員(ぽっぽや)」のテーマ曲を「テネシー・ワルツにしたい」と告げた。そのときの高倉さんのとまどいである。
「新網走番外地」シリーズ、「駅 STATION」と、多くの作品でコンビを祖み、気心の知れた間柄だから、高倉さんの否定的な反応は織り込んでいた。「テネシー・ワルツ」といえば、彼が12年間連れ添い、別れた後の82年に45歳で逝った歌手江利チエミの一大ヒットである。アメリカの歌だけれど、日本では江利が広め、彼女の代名詞的な歌でもある。高倉さんが「個人的」と言ったのはそういう意味だ。
撮影入りは10日後に迫っていた。降旗さんは続ける。「僕らもそろそろおしまいだし、あと何本撮れるか……。甘ったれ、公私混同、何と言われたって、いいじゃないですか。最後の恥、やりましょうよ」
高倉さんは渋い顔でうつむいていた。監督はその沈黙を彼なりの了解と判断した。
始まりは高倉さんだった。
前年の12月、このホテルでの衣装合わせのあと、10人ほどのスタッフと俳優が雑談した。主人公夫婦の年代にふさわしい歌の話になった。降旗さんは夫レス・ポールのギターで妻メアリー・フォードが歌う「バイヤ・コン・ディオス」にこだわりがあった。昭和20年代にヒットした別れの歌で、切ない調べがこの物語に合うと思った。スタッフや俳優もそれぞれの歌をあけた。コーヒーを飲みながら聞いていた高倉さんの番になった。ぼそっと言った。「僕なら、テネシー・ワルツですね」
誰もが「あっ」と思った。あの愚直な高倉さんが、妻だった歌手の有名な持ち歌をあげたのである。周囲の反応に高倉さんは「まずかったな」といった表情でうつむいた。話はそれで終わった。

降旗さんには江利の思い出がある。監督2作目の「地獄の掟に明日はない」(66年)で初めて高倉さんを使った。江利は夜、撮影所の夫に弁当の差し入れに来た。ある日、高倉さんが照れたように言った。「あの役回りのあなたが最高、女房がそう言ってくれまして」。新人の降旗さんは自分が勇気づけられているようで無性にうれしかった。
「これも公私混同ですか」。好々爺然とした監督は私に言った。