森嶋通夫・新「新軍備計画」

古本祭りで「文藝春秋」にみる昭和史が4冊揃いで1200円であったので購入した。この文章は、その筋の人々の間では有名なのだろうが、私は初めて読んだ。

同様に、万が一にもソ連が攻めてきた時には自衛隊は毅然として、、秩序整然と降伏するより他ない。徹底抗戦して玉砕して、その後に猛り狂うたソ連軍が殺到して惨澹たる戦後を迎えるより、秩序ある威厳に満ちた降伏をして、その代り政治的自決権を獲得する方が、ずっと賢明だと私は考える。日本中さえ分裂しなければ、また一部の日本人が残りの日本人を拷問、酷使、虐待しなければ、ソ連圏の中に日本が落ちたとしても、立派な社会ーたとえば関氏が信奉する社会民主主義の社会ーを、完全にとはいえなくても少くとも曲りなりに、建設することは可能である。
多くの日本人は、終戦時にアメリカ兵はほとんど暴行しなかったから、日本はアメリカに占領されても不幸でなかったが、ソ連兵は満州で掠奪暴行の限りをつくしたから、ソ連には降伏すべきではないと考えている。しかしこの二つの事実は、全く対照的な状況の下で生じたのである。日本では、日本人が冷静に秩序整然と米軍を迎え、満州では満を持していたソ連軍が、宣戦と同時に堰を切ってなだれこんで来たのである。日本軍も同じ状況の下では、ソ連兵と変わらぬことを数多く行っている。悲しいことながら、人間の行動は状況に非常に影響される。終戦前後の米兵とソ連兵の比較は私の議論の有力な根拠となっても、不利な材料となることは決してない。
猪木氏は平和主義者を(一)空想的、(二)革命的、(三)現実的の三類型に分類し、そのうち空想的平和主義者を「国際社会のなかで防衛力が演じる役割を否認して、自分たちが平和に徹しておれば侵略される惧れはない」と信じている人達だと定義している。そして彼は、このような人が「暴力を放棄できるのは、ほかの人々が彼らにかわって、暴力を行使してくれているからである」と言う。全く同様に国防主義者の方も三類型に分類出来るであろう。そうすれば空想的国防主義者は次のように定義されるにちがいない。すなわち彼らとは「国際社会のなかで防衛力が演じる役割を過大視し、自分たちが最小限の防衛力を持っておれば侵略される惧れはないと信じている人達」である。このような空想的国防主義者が最小限の自衛力で安心できるのは、空想的平和主義者と同様、ほかの人々が彼らにかわって、暴力を行使してくれるにちがいないと信じているからである。猪木氏によれば、私は空想的気味の現実的平和主義者らしいが、私は、関氏こそは空想的国防主義者だといいたい。
関氏は日本が二週間程度、ソ連と戦っておれば、アメリカが助けに来てくれると考えているし、日本人もアメリカ人と協同して、できるかぎりの限度において自国の防衛努力をしていれば、アメリカは日本を見捨てないだろうと述べている。しかしわれわれは南ベトナムや韓国や台湾が、ニクソンやカーターに煮え湯を呑まされたことを忘れてはならない。
それのみでなく猪木氏によれば、アメリカは最近、平和を守る意志力が衰退しており、西側諸国や中ソ両国からかなえの軽重を問われているとのことである。私もまた、少くとも将来十年間は、アメリカの青年が日本を救うために、銃をとることは絶対にないと信じる。彼らは断乎拒否するであろう。もしそうなら、アメリカの救援を前提にした最小限の自衛力という空想的国防主義は破綻する。防衛するとすれば、人だのみでなく、最後まで自分たちだけで戦い抜くという防衛しかありえない。
人だのみでなく、独力で日本を守るという防衛計画をたてれば、日本は核武装をしなければならないであろう。日本が核武装するのと、インドがするのとでは、意味が異なるから、有核の防衛は、アメリカをも含めて多くの(あるいは全ての)友人を失うという覚悟の下でしか行いえない。日本自身が冷戦の一つの眼になってしまうことを別にしても、日本を核で重武装することは、現在の経済力をもってしても、大仕事である。戦前同様、国民の幸福をすっかり犠牲にする気でないと、核武装は不可能である。
したがって現実的な武装は、関氏のいうように無核で、アメリカが日本にしてくれというだけの武装をすることである。そしてそのアメリカが指示する限度が、開氏のいう「最小限の軍備」であり、猪木氏の「過大でもなく過小でもない防衛力」である。その防衛力では、日本単独で日本を守り切ることはできないから、アメリカが日本を助けてくれない限り、日本は安全でない。それではアメリカは必ず助けてくれるのかと詰問すれば、彼らはI hope soと答えるしか他に答えようがないであろう。安保条約があっても同じことである。このように空想的国防論だけでなく、現実的国防論ですら、空想的平和論のようにはかなく、一皮めくればその下に、イデオロギーがあるだけにすぎない。

関氏=関嘉彦氏 猪木氏=猪木正道
アメリカがあまり当てにできないという点は私も同意。しかし「一部の日本人が残りの日本人を拷問、酷使、虐待しなければ」とあるが、これは空想にもほどがある。