「この町をのり子には見せられない」

朝日新聞4月26日朝刊国際面
風 見てほしい「両親の国」 マニラ 松井健

上半身裸の男たちが昼間から、所在なげにたむろしている。裸足の子どもが金を求めて手を伸ばしてくる。
貧困地区として知られるマニラ市北部のトンド地区。日本から国外退去処分となったカルデロン・アランさん(36)はほぼ16年ぶりに、生まれ育った実家に戻った。
「懐かしいという気持ちはないですね。どうやって仕事を探せばいいのかすら、わからない」。滑らかな日本語で話すアランさんの表情に、強い不安の影がよぎった。
フィリピンの庶民の暮らしは厳しい。失業率は公式には8%ほどだが、実際にはずっと高い。1人あたり国内総生産(GDP)は日本の20分の1。賃金格差も大きく、日本で長年働いてきたアランさんが新たに仕事を見つけるのは大変だろう。日本に残した長女のり子さん(13)の心配に加え、自らの生活にも困難な道のりが待っている。
一家での在留を認めるか、強制送還か。日本国内で議論を巻き起こした一家が、母国フィリピンで注目を集めることはほとんどなかった。
フィリピンは人口の1割の約900万人が海外で働く「出稼ぎ大国」。国内では仕事が少なく、海外で働いて故郷の家族に送金する。子を祖父母に預けて海外に出るため、離ればなれになる親子はざらだ。海外から強制送還される人も半年で2万人近い。カルデロンー家の例は、この国では珍しくない。
だが、一部のメディアは帰国したアランさんを取材して「日本語を上手に話すだけでなく日本人のように見える」(スター紙)と報じた。「もうタガログ語を話せない」という誤報まで流れた。
まるで日本人だ、と言わしめるほどの変化がアランさんの人生に起きたのは間違いない。日本での16年もの歳月は、それほど重かった。ここまで日本に溶け込んだ外国人を、うまく受け入れる手だてはなかったのだろうか。
「この町をのり子には見せられない。日本はきれいで、みんなしっかり働く。ここの人たちは何もせずに時間をつぶしている」。彼が繰り返す言葉は初めてスラムを見る日本人の感想のように響いた。
日本を心から愛するがゆえに出た言葉だったのだと思う。だが、自分が生まれ育った町を娘に見せたくないという言葉は、悲しかった。
赴任してから常に思っている。日本とフィリピンは確かに違う。でも、陽気な人々に豊かな自然の恵み。この国も日本に負けず魅力的だ。
日本で夢を追うことを選んだのり子さんには、思いは貫いてほしい。でも、いつか両親の国を訪ね、その魅力を自分の目で見つけてほしい。

所詮日本に家のある日本人とではねえ。