これが赤魔の手口だ!

二十二日の午後、便衣をまとった十名ばかりの密偵が北京城広安門を出た。彼等は赤藤分隊長から示された経路を、問題の中間地区に向って進んで行った。これら密偵の報告を綜合すると、彼等は薄暮ごろ現地に着いて、早速付近の住民から情報を集めた。すると、銃声砲声の正体というのはー。
「日が暮れると、このころ毎晩のように、便衣をつけた青年十名ばかりがこの部落に入り込んで参ります。そし
て村はずれの落花生畑で、土炮と爆竹を盛んにパンパンやり始めるのです。なんの目的であんな騒ぎをやるのか、私共には皆目見当がつきません。今日もやがて、もうボツボツ集って来るころでしょうよ」
密偵憲兵の指図に従って高梁畑の中に身をひそめた。今日は満月らしく、やがて東の空がポーッと赤味を帯び始めてきた。と、住民がいった通り、八時ごろになると、十名余りの便衣が一列の縦隊で部落の陰から姿を現わし、黙々、落花生畑の方に進んで行く。
やがて彼等は畑の真中で一塊りになって、何やら支度にとりかかった。そして用意が整うと、指揮者らしい男の合図に従って、間もなく爆竹が点火された。
パンパンパンパン……けたたましい響と共に発する閃光! 鼻をつく煙硝のにおい!おびただしい白煙が濛濛として地を這った。
この時、密偵は高梁畑の中から一斉に姿を現わし、たちまちその数名を逮捕した。彼等は密偵を二十九軍側の便衣とでも感違いしたらしく、リーダー格の一人が極めて率直に「我々は学生です。救国のためにこうして日本軍の側面を脅威してるところです。許して下さい」と弁解した。
彼等は北京の西北、万寿山街道にある清華大学の学生を中心とし、共産系の指導の下に、日華両軍交戦地帯の真っ唯中に潜入し、土炮や爆竹で両軍を刺激する事によって、事変の拡大を企てていた事がハッキリした。
彼等の背後関係には、共産党の全国総工会書記、中共北方局主任、劉少奇などが采配を振っている事も判明した。「七月十三日、大紅門事件の起った日の真夜中すぎ、永定門外でドンドンパリパリやったのも、やっぱりお前達の仕業だろう?」
との問いに対し、彼等自身ではなかったが、同類がやった事も白状した。

寺平忠輔『日本の悲劇 盧溝橋事件』より。