河本大作から磯谷廉介への手紙

手紙は佐野氏が保存していたもので、初出は『裁かれる昭和』第一回だが、「支那通」一軍人の光と影―磯谷廉介中将伝でも読める。

大兄転任後何処へ行かれたかといつも心に懸りながら 官報見ても解らざりしが支那班の居候とは甚だ以て名士を遇するの道にあらずと存ず
小生人事に関し中央部で評判よろしからざる趣今更弁解の辞も之無く候、然し小人共の悪評や得手勝手な上司の批判には小生も余程経験を有し居るため別段気にかけぬ様になりました、但著しく名誉を毀損する様な問題でもあれば御知らせ被下度、いつ迄も恋々として軍職にかじり附く必要なき故思い切って離れ業をやって上司(つまらぬ奴共)の反省の資にもとも存じます
何卒御内示願ます ドーセ評判通りには通用せぬ男
満州の現状は支那側益々横暴、実情に直面すると黙過し難きもの多し。而して其原因は日本軍閥が余りに彼等を増長せしめた慊なきにあらず、満蒙問題の解決は理窟では迚も出来ぬ、少し位の恩恵を施す術策も駄目なり 武力の外道なし、唯武力を用うるとするも名義と幟じるしの選択が肝要なり、今後に於てか少しでも理窟のある時に一大痛棒を喰わせて根本的に彼等の対日観念を変革せしむる要あり。此程鉄道問題で少しやりかけて見たが政府は内争に余力なくつまらぬ経済的独得手段をやれとの仰せ、今奉天城根支線に対する満鉄貨車廻入禁示をやって居るが とても効果なく却て支那側は奉天線に於ける馬車の罷業や、長春哈市間の通信阻止等をやって日本を苦めて居る
今度は二十年来の総決算をやる覚悟で臨まねば 満蒙の根本解決は得られない
張作霖の一人や二人や 野タレ死にしても差支ないじゃないか 今度と言う今度は是非やるよ、止めてもドーシテモやって見る、満蒙解決のために命を絶たるゝとは最大の希望でもあり名誉だ、此間奉天で土肥原と秦少将とが自我自賛の小問題で事を挙げようとしたが小生は不同意で反対した。目下交通断絶して居る
あの人々は自分独りで人に相談もせず 他人は皆な其法則を遵奉して其命令に服するものなりとの前提で 何一つ小生にも知らせず 殊に其問題は例の荒木隊が唯一無二の種だ、そして張学良を以て親日の権化の如く考えて之を前提としたものだ
小生も動乱はすきだ、又どんな問題でも火をつける事が必要だが、此問題だけは土肥原の笛で踊れない 秦少将と土肥原との夢の様な話に同意し得ない 小生は参謀長も留守だし軍司令官も旅行途中だから此間に奉天の鉄道問題を紛糾させて一つクーデターをやる心算で居るのに 秦、土肥原等は鉄道問題を除外し荒木隊の謀反にのみ没頭し且つ決断を軍司令官の帰任後に延ばすことゝして まことに手緩き次第 ソコデ小生は荒木隊への兵器を引渡中止した、ところが之を無理矢理に盗んとしたからビッシリ憲兵をつけて止めてしまった。当時の一二日間は奉天と小生との暗闘で終った、もし土肥原なんかのすることを放任して居たら陸軍はもう世間に顔出しならぬことゝなって居よう どうも協同動作に大に欠陥がある、此件は誰れにも知らしてない 貴公だけにとめて置いてくれ
後秦少将来旅して二晩議論して 今は先方も氷解した。一体献身的に仕事する男にあまり自家宣伝や、自己の手柄を気にする奴は駄目なり、
経済的抗争は支那人の労力を基礎とせる満州の施設では日本側が敗けをとること必然往年香港対広東の事例で明かなり、故に此方法では却而こちらが悲鳴をあげることになる 故に此んな拙策ははやくやめて武力的強圧を加えねば駄目なり こんなことを言って居る間に南方では火の手があがり山東はガタガタと崩れかゝれり、其中に張作霖満州引退を見るべきも 今度こそはオイソレと入れぬ様 特に中央部の人々を引止めて欲しい
張郭戦後の張の暴状は言語を絶す、恩を施して其代償を得んなどゝ考える日本人は念の入ったお人好しなり 其場其場の現銀取引ならでは駄目なり 而して去年も一昨年も大にやるつもりで途中で遁けられてしまった、此年だけは是非物にしたい 僕は唯々満蒙に血の雨を降らすことのみが希望で 之が根本解決の基調だと信じて居る 就ては今少しく旅順に居たい
夏迄には片づくだろう 其後はどこへ流されてもまたやめられても実際構わぬ
大兄に後を譲りたい、一寸外の奴では駄目だ
小畑によろしく言って呉れ、今度こそは大機会を捉えたいと思って居る
廉公 机下            四月  大作

二人は同郷同年の大親友。
荒木隊の荒木というのは黄慕将軍荒木五郎*1を指す。