伊藤博文の一挿話

矢次一夫『昭和動乱私史』上巻より
伊藤が統監をしていた時代、朝鮮駐剳軍(軍司令官長谷川好道*1)にある大尉がいた。日露戦争では第一線で戦った勇者だが、出世とは無縁の人物で、ただ相撲甚句がうまかった。ある日曜日、彼が馴染みの妓楼で飲んでいると、長谷川大将からお呼びがかかった。腹が立ったが軍司令官の命令であればいたし方ないので、渋々軍司令官官邸に赴いた。

 ところが、官邸は昼間から大宴会最中で、座敷に通って見ると、正面に伊藤博文以下統監部のお歴々が居並び、下座の方に長谷川大将が部下の将校と共にいて、伊藤を御馳走しているところであった。座に通って一礼すると、副官が、おい、貴様角力甚句をやれ、というのである。ここにおいて彼は、かあっと頭にきたというのだが、私は帝国軍人であります、芸人ではありませんッ、と大声で返事をし、この馬鹿大将め、今日限り軍人は辞めた、と決心したという。そうしたら、バラバラと二、三人将校が飛んできて、閣下に恥をかかすな、やれ、と喧しく言うのを、糞っとばかりはねのけて、表の方に駆け出し、靴をはこうとしていたら、いきなり後ろから、こら小僧、と肩を叩く者がある。振り返って見たら、そこに伊藤が立っており、ニヤニヤして、いいから上がれ、といって、腕を取って引き立てられたので、相手が伊藤では勝手が違うし、仕方がないので随いて行ったら、小僧、ここに座れ、と伊藤の隣席を示し、自ら杯を指して、長谷川の方に向かい、おい長谷川、酌をしてやれ、という。長谷川が、そんな無礼な奴、断る、と言ったら、伊藤が、長谷川の顔をじいっと見て、そうか、よし、俺が酌をしてやろう。しかし長谷川、俺は長い間、どうしてお前のような馬鹿を、山県が大将にしたのか、わからなかったのだが、いまやっとわかったぞ。それは貴様に、こんな良い部下がいたということだ、と言って、伊藤が、今日はこれから貴様と飲もう、と言ったそうである。
 それから一ヶ月ばかりして、彼に司令部から命令があり、連隊付副官で、少佐に進級したというのだから、周囲の者も驚いたが、一番びっくりしたのは彼自身で、元来が攻城野戦の勇ではあっても、頭脳的な副官などの勤まる人物ではない。一ヶ月ばかりで遂に退職して終った。この人事は、伊藤の命令で行なわれたものだけに、いわゆる伊藤のひいきの引き倒しとなったわけだが、この話で私が注目するのは、朝鮮統監としての伊藤は、当時の朝鮮駐屯軍に対して、文官の身分で統帥権をもっており、従って、軍人事に介入する権限をもっていたという点である。

陸軍を相手に一歩も引かず、長谷川を馬鹿扱い。伊藤なればこその芸当だろう。

伊藤が訪露の途中、ハルピン駅頭で暗殺されるや、彼はハルピンに移り、花畑を経営して、沖、横川等軍事探偵としてロシアに銃殺された連中の銅像と共に、伊藤の銅像に、毎日花を手向けることを生涯の勤めとしたそうで、私が彼を訪ねたときは、すでに彼の晩年のときであったのであるが、人生意気に感ずというか、宴席ではからずも受けた伊藤の瞬間の知遇に、余生を捧げて酬いようと決意したという彼の話に、忙しい中を訪ねてよかったと思い、心暖まる気持で別れたことを、忘れる事が出来ない。