名誉回復

国会議事録検索システムという便利なものがある。
これでキーワードを”小園”として検索してみた。⇒結果
小園安名大佐遺族への軍人恩給支給までの道のりが読める。
併せて小野田少尉の話も出ている。
サーバも軽くて使いやすいね。

○阿具根登君 こういうような、人が人をさばく場合にはあくまでも厳然たる規定に従わなければならないはずです。そうしなかったらそれは無効なんです。それなら先ほど申し上げましたように、これもまた向こうでやりますけれども、弁護人が一人もつかずに、そしてどさくさできめられたやつが正しいとお思いになりますか。当然きまったように軍法会議なら軍法会議でも弁護人が二人つかなければならないはずです。それが弁護人がついていないんです、一人も。何の釈明の余地も与えられておらないんです。それで、先ほど厚生大臣も言われましたように、敵前逃亡であってもあの場合はやむを得ないんだ、だからこれは無罪にすべきであるということをおっしゃられておるわけです。この小園大佐の罪名というものは党与抗命罪です。人を殺したわけでもない、逃げたわけでもないんです。いままで軍中枢の命令によって降伏というものはあり得ない、日本は勝つか死ぬかどっちかだという訓練を受けてきた人が、突如降伏だと言われたので、日本には降伏はないという訓練をわれわれは受けてきた、教育を受けてきておる、だから降伏してはならぬというビラをまいた。ビラをまいただけでこの人は終身禁錮になったわけなんです。どういうふうにお考えになりますか。

○政府委員(高木玄君) 私どもの感じでは、終戦時に際しまして、終戦のときの非常な非常事態、その混乱におきましてさまざまな事件が発生いたしております。たとえば、陸軍における宮城事件等も同じような終戦時における徹底抗戦を叫んだ人たちによりまして宮城内におきまして陛下の録音盤を奪うとかあるいは当時の司令長官を射殺するとか、そういったような、陸軍におきましても宮城事件のような事件が起きております。これらの事件につきまして、確かに先生言われるように、厚木航空隊の事件では、もちろん、人を殺したというような事態は一つもないわけでございますが、当時の海軍としてはこの事件を何か非常に重視して重く扱っておるという感じが私の率直な印象として受けます。何かこう、非常にこの事件を海軍省が最後に非常に何かたいそうなものに扱ったというふうな感じを率直に受けております。

○阿具根登君 局長のただいまの答弁と全く私も同感です。だからこういう質問をしたいんです。
 当時、調べてみますと、台湾におきまして、航空隊は、内地が降伏しても台湾は徹底抗戦だということで八月の二十日まで夜間訓練までやっておるわけなんです。そういうのは一切罪がないわけです。そしてさらに、終戦放送後、第五艦隊は出撃しておるわけです。そういうのも何の罪も科せられておらない。それに、ただ抗戦だといってビラをまいた人を長にして六十九名の人がこの罪に問われたというのは、たまたまその直後、アメリカの駐留軍が厚木を駐留の基地にしたいといってきたので、アメリカに対する非常な遠慮からこの人たちが犠牲にされたというような気がして私ならないんです。だれ一人傷つけていないんですね。あのときに一人も抗戦言わなかったらそれはおかしいんです。いまから考えてみるとばかみたいなことだとこう思いますけれども、あの雰囲気から考えるなら、当然そういう人が、それは陸軍でいまおっしゃいましたようにいろんな問題が起こっておる。そのくらいのどさくさというのはこれは当然だと思うのです。それをなぜここだけがこういうきびしいやつにさらされて、今日もまだ未亡人は遺族扶助料を一銭ももらわずに鹿児島でさびしく墓を守っておられるんです。ところが、戦争の最高責任者として確かに死刑はされたけれども、その家族の方々はずっと二十八年間遺族扶助料をもらっておられるわけです。こういう片手落ちのことがあっていいかどうか、私はそれを叫んでおるのです。小園大佐以下六十九名の方が、大半の人は大赦で免除されましたけれども、しかし名誉回復ということは一切行なわれておらなくて非常にさびしい思いをされておる。一方では、逃亡の罪もそのころのことだからこれははっきりしておらない。まだいろいろの人の例を私は持っております。吉池軍曹の問題でもこれは非常な疑問がある。しかし、これは衆議院でやられておりますからこれはここでやりません。また、その他にも食糧をさがしに行って、そうして部隊にはぐれたからこれは逃亡だと、武器を持っておったからこれは窃盗だと、こういうようなことでさばかれてまだ泣いている人がおるわけなんです。それが二十八年もたった今日、どうしてこれがこのまま放っておかれるだろうかと、これが私は疑問に思ってならないわけであります。これについてひとつ御答弁を願います。

○政府委員(高木玄君) 先生が言われたように、終戦時の非常な混乱で局部的な規律、軍規違反というような事件は非常に多かった。幾つかあるわけでありますが、この厚木事件が非常に重視されて、しかも、非常に短期間内に臨時軍事法廷が持たれてさばかれたことにつきましては、これはもう私の推測でございますが、この当時の海軍上層部の真意はわかりません。しかし、マッカーサーの厚木進駐というような問題とのからみもありまして、もし進駐してくる外国軍隊が、この厚木における抗戦という事態をとがめて、これを罰するというような事態が起こることをおそれ、むしろ、この海軍の軍人として職を同じくし、またその気持ちも十分にわかる海軍の軍人が、自分たちの手で自分たちの法律でさばいておいたほうがいいというふうな、ある意味での親心でさばいたんじゃないかというような推測もされるような感じでございます。

○阿具根登君 そのお答えもわからぬではありません。たとえば、親心であったかもしれぬけれども、結果的に見れば一番親心じゃなかった。逆に、これを米軍に裁判してもらったら、この人たちは極東裁判でやられた方々と一緒に二十八年間遺族はちゃんと遺族扶助料もらっておったわけなんです。かりに親心であったとするならば、そのために二十八年間、遺族は泣いているんです。それを何とかしてこれを助けてやらねばならぬじゃないかというのが皆さんの気持ちの中にもあるはずなんです。法律がじゃまになってこれができないなら、法律を出さねばならぬと私は思うのです。そうして一時でもそういう悪夢は早く洗い流してやらねば、そのままもんもんの情を抱いて未亡人がなくなっていったら、だれが慰めるか。こういう問題もあると思うのです。これに対して、一体どうすればこれは復活できるのか、その点をお尋ねしておきます。

国務大臣(齋藤邦吉君) どういう手段を講ずれば復活するかということは別として、阿具根先生のおっしゃった御質問に対して私の率直な気持ちをまず申し上げておきたいと思います。
 この事件がどういう関係で非常に重く取り扱われたか、そういうふうないきさつは私は何も存じません。それから裁判に弁護士が出なかったのか、出たのか、それも私は事実何も承知いたしておりません。しかしながら、そういうことは一応別としまして、戦後のああいう大混乱の中にこういう人たちがああいう行動をした、その人たちにとってみればやむにやまれない心境であったんだろうと思います。私は、その人たちの行動を是認するとか何とかいう意味において申し上げるのではありませんが、そういうことを私は申し上げるのではありませんが、そこで私は、こういう方々が戦後に起こった事件であり、しかも、非常な混乱の中に起こった事件であり、人を殺傷したわけでもない、こういうふうなことを承わるにつけましても、何とかこれはしてあげなければならぬなという私感じを率直にいたします。
 特に、いままでの大赦令によって、幸いその過半数ですか、恩給が復活したのは。恩給の復活が、この事件についてはその方々の半分以上あったかもしれませんが、そのほかの方々は二年以上というようなことで恩給の復活もない。私はお気の毒だと思います。そして、またその奥さんにとってみれば、自分の主人はりっぱな日本の軍隊として働いたと、私信じていると思うのです、いまでも。そういうことを考えてみれば法のたてまえ、そういうことはいろいろありましょう。私は軍法会議を批判する意思もありませんが、何とかできるならば、救ってあげるようにしたいなという感じを、私は質問を受けて率直に思いました。特に、上官はもうなくなられておるようですが、まあ上官自身は大勢の方を指揮してやったんですからそれだけの責任を上官が負う、これは私やむを得ないと思います。しかし、部下の方々はそれほどの罪であったのかどうか。二十年たっても恩給も復活ができないのだという事態に置かれることを覚悟してやったものかどうか。私はやっぱりその辺は問題だと思います。できることならば、何とかこういう方々は遺族援護という面から救ってあげて、まあ軍法会議が行なわれたというその事実は消すわけにいかぬでしょう、これはできないと思いますが、その法律的ないろいろな効果については、何とか救ってあげたいなという率直な感じをいたしましたので、そのことをまず最初に私お答え申し上げておきたいと思います。



○大橋(敏)委員 それでは最後に、これは一方的に私がお話ししますので、よく聞いておっていただきたい。と申しますのは、直接厚生省の問題ではないのでこう申し上げるのですが、間接的といいますか基本的には厚生省が手を差し伸べなければならない問題でございますので、いまから申し上げますから聞いておっていただきたいと思うのです。
 終戦処理の中でも私は非常に重要課題だと考えているものに厚木航空隊の事件があるわけでございます。特に大臣にこの内容を深く御理解願って、積極的に御協力をお願いしたいということでございますが、実は終戦時首都防衛の主力部隊であった厚木航空隊の司令である小園安名という海軍大佐でございますが、これは終戦命令に従わなかったということで、わずか三日間ほどでございますけれども、上命に反抗したということで部下六十九名とともにとらわれの身となったわけでございます。二十年十月の十七日、横須賀鎮守府の臨時海軍軍法会議におきまして、その小園大佐は党与抗命罪という罪名をつけられまして無期禁錮、即日失官、また青年将校以下六十九名の方々は四年から八年以下の禁錮刑に処せられているわけでございます。
 その後恩赦とか、あるいは特赦ということで短期で出獄したものの、小園大佐は昭和二十七年の暮れ仮出獄をして三十五年の十一月に病没いたしております。この小園大佐は海軍軍人としての一切の名誉を奪われたまま、そのために軍人の恩給は支給されない。また六十名の方々も、もともと恩給資格はなかったのでございますけれども、いまも受刑者としての何らかの身分制限がつきまとっているということでございます。
 実は私も海軍軍人の一人であったわけでございますが、無条件降伏なんということはとても考えられませんでした。特に搭乗員の心境とすれば、われわれが死ぬことによって日本は勝つのだ、救われるのだという信念に徹しておりましただけに、無条件降伏はほんとうに信じられませんでした。したがいまして、上官から突っ込むぞと言われてみれば、きわめて自然的な気持ちで同乗したわけです。それだけに徹底抗戦の意気も盛んでございましたし、あの混乱の中におそらくいろいろな矛盾、不合理があっただろうと思いますが、その一、二を申し上げておきます。
 実は混乱の最中とはいえども、あまりにも矛盾あるいは不合理がある、不公平があるということで、その当時の部下あるいは関係者等がその後いろんなことを調べたわけでございますけれども、終戦時抗命罪に値するものは厚木航空隊だけではない。それは陸軍の終戦放送用の玉音盤の奪取将校、これは武力による実害あるにもかかわらず、自決をした人以外は全然裁判もなされないで釈放されているという事実がございます。また厚木と全く同様の抗戦組が陸軍の児玉基地、はっきり名前を申し上げますと宇木少佐、あるいは陸軍の狭山基地の山田少佐、海軍在台湾一三二航空隊、こういう方々はそのときはみごとに戦ったわけですね。抗戦組でございます。
 以上いずれも厚木と全く同じでございまして、八月の二十日過ぎまで抗戦行動をとったわけでございます。また第五艦隊司令長官でありました宇垣中将の例は、特攻として明らかに抗命であろうかと思いますが、これはりっぱな軍神として、現在なおその名は名誉として残っております。
 むしろ厚木の抗命というものは一切武力によっておりません。実害とか上官その他の殺傷等の行為もなされていないのでございます。また陸軍は武力による実害ある者も一切抗命裁判を行なわれておりません。ところが、極東裁判の場合を取り上げますと、刑期さえ終えれば何の後遺症も残らずに、同じ国事犯ながら、これに比べてはなはだ不公平であるということがいわれております。
 また終戦直後占領軍は日本の法律を総点検して存廃をきめ、治安維持法のごときはさかのぼって撤廃し、厚木抗命とは逆の、反国家、反天皇の重大犯人を一時に釈放しているではないかということ、あるいはまた厚木は最前線以上の激戦の連続でありまして、首都防衛の重責を痛感して一カ年半の期間に敵機を数百機も撃墜し、味方も二百名以上の戦死者を出しております。終戦直前の八月の十三、十四、十五日とも毎日戦死者が出ている始末でございました。十五日は玉音放送一時間前まで戦死者があるという事実が残っておりますように、もう戦って戦って戦い抜いておったわけです。
 それを瞬時に変節して洗脳せよと厳命して、時間を与えず無条件で――こうこうだこうと大詔再渙発を求め、あるいは連想しての行為であったと私は思うのでございますが、要するにいまのことをたとえて言うならば、新幹線の超特急列車を全速で走らせておいて、急停車を意図して即時停車しなかったとして厳重処分したのと全く同様である。終戦命令をすぐ受け入れれば戦死の危機からは即時遠のくのであって、しかるに、あすをも知れない自分の生命を投げ出して国を守らんとしたきのうまでの忠勇な軍人さんたちを、一転重大犯として失官させ、それまでの勲功を一切ゼロとしたことは不条理ではないか。
 そのほかずいぶんとあるわけでございますが、私の時間が参りましたので、この問題について厚生大臣も十分理解を深めていただいて、関係各省庁にむしろ呼びかけていただきたい。もうすでに総理大臣あるいは官房長官等も、この中身については十分御理解をなさっているやに伺っておりますし、その名誉回復運動も積極的に動き始めているところでございますので、何ぶんともよろしく私からもお願いする次第でございます。よろしくお願いいたします。

○齋藤国務大臣 この問題は、私が申し上げるまでもなく、敗戦という未曽有の事態に直面したときの混乱期における一つの事件でございます。司令は司令なりの覚悟を持っておやりになったことだと思いますが、特に司令の部下などにつきましては、司令を信頼し、あの混乱の中にああいう行動をしたということも十分理解できるわけでございます。これを処断した場合の軍事裁判のあり方等についても、とやかくの意見があるところでございまして、司令は別としてでも、その部下だけは何とかしてあげなければならない、私はそういう心境でございます。
 また司令の奥さんも、まだ生存されておるそうでございますが、その奥さんの身になってみれば、これも何とかしてあげなければならぬ、私はそんな気持ちでございますので、これは恩給法の問題でございますか、あるいは厚生省所管の遺家族援護の問題でいくべきか、いろいろ問題はあろうと思いますが、これは何としてでも解決していかなければならぬ問題ではないか、私はこういうふうに考えております。そのためにどういうことが必要であるか、それは別として、ほんとうにこれは何とかしてあげなければならない事態ではないか、こういうふうに考えておりますことを率直に申し上げて、お答えといたします。



○永末委員 小坂長官も昔、海軍に勤務されておったと伺っておりますが、歴史というものは流れとともに忘れられていくものでございます。しかし、歴史を忘れた政治というものは、必ずその国を破るのであります。私は、古いことばかり覚えておれというのではございませんが、その歴史の流れにおいて、国を守る者に対して、なるほど戦いの勝負というものはございますけれども、政府、政治権力というものが一体どう遇したかということは、もうあのような戦争はないと思いますけれども、政府が現存する限りにおいては、やはりそれらの日本国民の行為に対して、正当に取り扱うべきものだと私は確信をいたしております。
 したがって、いま長官から、位階、従五位というのは消えていない、けっこうなことだったと思います。勲等につきましては、今回の恩給法改正で名誉回復の第一段階は終わった、やった、こういうお話でございます。だといたしますと、勲等についても、なお積極的に小園大佐の名誉回復、これは、ほかの旧軍人にも該当し得る問題だと思いますが、政府としてはお考えになる姿勢は持っておられる、このように解釈してよろしいか。

○小坂国務大臣 小園氏の場合におきましては、やはりいま永末委員が申されたような、終戦時の一つの非常に混乱した時点の中における、国を守るという善意の行動であったということが認識されたわけであります。同時に、今回の恩給法改正によりまして、小園氏の名誉回復が具体的に社会的に可能になったというふうに考えております。
 さらに、勲章につきましては、先ほど来申し上げておりますような勲章褫奪令というものがございまして、これの運用がこの場合にどのように適用されるか、さらにケースを十分検討いたしませんと、はっきりとしたお答えを申し上げられないということを率直に言わせていただきます。