letter from Manila 本間雅晴からピゴットへ

親愛なるピゴットヘ
 何よりもまず、わたくしの人物につき詳細な口供書をいただいたことを心から感謝いたします。それはわたくしの友人からいただいた中で最もすぐれたものでした。この口供書が軍事委員会に大きな影響か及ぼしたことは疑いありません。そしてわたくしの良心を非常に慰めてくれました。わたくしはこれほど深く友情に感激したことはありません。
 あなたをはじめ御家族の方々はどうしていられますか。あなた方がうまく切り抜けて来られたあのおそるべき戦争中、皆さんはお元気で過ごされたことと思います。御子息のフランシス君はどうしておられますか。もう少佐でしょうね。戦争中、御無事であったことを祈ります。わたくしの國も國民も現在、惨憺たる有様です。どんなにひどいか御想像もつきますまい。國民は飢餓に瀕しています。
 わたくしは開戦当初フィリッピンの軍司令官でした。今、そのむくいを受けようとしています。この手紙を御らんになる前に、あなたはわたくしがどうなったかをお聞きになることでしょう。
 わたくしはこんな厳しい苦難に直面しなければならないとは、夢にも思いませんでした。ただただ運命という外、このわたくしの気持ちをいい表わす言葉もありません。わたくしの弁護に立たれた六人のアメリカ将校に深い恩義を感じます。かれらは最も不利な吠況の下で、最善の努力を尽くされました。それはたとえ否定されたとはいえ、かれらは公平な裁判をするために健闘されたのです。
 わたくしの妻は証言するためにマニラに来ました。そしてあなたの御好意を深く感謝しております。もうすぐ日本へ帰るのですが、わたくしから厚くあなたに御礼を申し上げるように、また奥様にくれぐれもよろしくと申しております。
 わたくしは、またいつか再びロンドンを見る日のあることを希望していましたが、それは真昼の夢よりもはかないものとなりました。
 おもえば、アメリカ軍事裁判などでしゃべるために英語を学んだのではなかったのでしたが。ああ!
 もうあなたにも皆様にも、お別れの言葉を申さねばなりません。どうか御健康でいられますよう祈ります。
 わたくしの最悪の災厄に際して示して下さったあなたの友情にたいし、くりかえし御礼申上げます。
  サヨナラ、ミナサン、ゴキゲンヨオ
                   本間雅晴


F・S・G・ピゴット著 長谷川才次訳 『絶たれたきずな』より

ピゴットはイギリスの工兵将校であり、並み居る各国外交官、武官の中でもぶっちぎりの知日派であった。我が陸軍にも知己は多く、その交際範囲は山県有朋、上原勇作といった元老にも及んだ。しかし東條英機にはあまり親しみを感じなかったという。戦後、マッカーサーの個人的復讐の生贄に供された親友本間雅晴のために、マニラの法廷に口供書を提出した。上はそれに対する本間のお礼の手紙。原文は英語。”サヨナラ、ミナサン、ゴキゲンヨオ”のところだけわざわざカタカナにしてるのは、ひょっとしてここだけ原文でも日本語だったのだろうか?当然ピゴットは日本語バリバリである。