高橋太郎少尉

仕事帰りにふらっとよった古書店で、『一青年将校』という本を購入した。著者は高橋太郎少尉の実弟高橋治郎氏。政情がどうとかそういうウネウネとした話はあまり無しで、兄弟しか書き得ないプライヴェイトな話が多い。只管に兄を思う心情が胸に詰まる。高橋少尉といえば蹶起将校の中でも下から数えた方が早い若さで、事件前史にもあまり登場しない。その割によく知られているのは、高橋太郎というシンプルな名前や、目のクリっとしたハンサムな顔立ちもあるだろうが、やはり彼が遺した文章によるところが大きいのではと思う。「姉は・・・」で始まる日誌(の一部)はあまりにも有名だが、それ以外にもかなりの分量の文書が残っており、河野司氏編の『二・二六事件』などで読める。「覚悟ができていて簡明で立派である」と評したのは中野雅夫氏らしいが、確かに出色と思う。
それにしても今、我々のような単なる好事家ですらこれらの文章を読めるのは、心ある看守や刑務所長、更には岩畔豪雄少将のおかげであり、またそれらを丹念に蒐集された仏心会の努力の賜物であるわけだが、岩畔少将などはどちらかといえば、蹶起将校とは逆の立場にあった人。それが立場を越えて、多くの遺書を焼失の危機から救ってくれたわけだから、さすがは陸軍部内にその人ありと聞こえた岩畔豪雄だなあと、お世辞の一つも言いたくなる。しかしよく考えてみたらこの人は、第28軍参謀長として、名将桜井省三を補佐し、イラワジ河越えの地獄行をやり、途中マラリヤで一時錯乱状態にまで陥っている。軍務局長就任を予定して呼び戻され、部隊に先行していたが、それにしてもよくあのタイミングで陸軍省に居たものだ。河野氏ではないが、執念の為せる業か?