ケアレスウィスパー

先月は随分散財した。師走はほっていても物入りだし、自粛の方向で行きたいが、古本ってのは見敵必殺の世界だしなあ。悩ましいところだ。

秋山真之会編『秋山真之
兄貴だけでは片手落ちなのでこれも購入。結構エクスペンシブでございました。米国留学中の真之がイギリスの佐藤鐡太郎を訪ねたとき。一緒に街を歩くのに、真之が洋服のポケットに忍ばせた煎り豆をポリポリやるのが、佐藤は恥ずかしくてしょうがなかったそうだ。また真之は兄譲りの医者嫌いで、食い過ぎで腹が膨れると、風呂敷とナイフをもって氷屋に行くのが常であったそうだ。風呂敷は途中で買う桃を包むためのもので、氷屋の店頭で桃をむいて食べ、その後氷を流し込むと、必ず腹が下って、膨れた腹が小さくなるのだとか。たかが食い過ぎくらいで無茶しすぎ。
目つき悪すぎ

森田靖郎『上海モダンの伝説』
晴気慶胤の『謀略の上海』が中々手に入らないので代わりにと購入。で、載ってたのが下の画像。

CAPTIONには李士群(左)と丁黙邨(右)とある。普通に読めば左のでこっぱちが、後に日本軍に毒殺された李士群であり、右が鄭蘋如とのスキャンダルで笑いものになった丁黙邨であるはずだが、左を丁としているサイトもあり、よく判らん。が、どちらにしても犬養健が書くほどの畸形には見えない>丁黙邨 ちなみにトニー・レオンが丁を演じる映画が撮られるそうだ。↓
http://nancix.seesaa.net/category/1890066-1.html
余談だが、晴気慶胤の弟は終戦時自決した晴気誠
蛇足ついでに若き日の汪兆銘。俳優みたいね。

斎藤瀏『二・二六』
やっと手に入れた。著者は済南事変に旅団長として出征した陸軍少将であり、佐々木信綱門下の歌人でもあった。栗原中尉とは家族ぐるみの付き合い。斎藤家が栗原中尉のことを”クリコ”と呼んでいたことは夙に知られる。樋口季一郎をして「女にしてもよいような美青年」と言わしめた栗原だけに、”クリコ”は”栗子”かと思いきやさにあらず。

「栗公らはやりましたか」
「やった」
家族も私も栗原安秀を栗公(クリコ)と呼んでいた。
「行きますか」
「行く」

斎藤少将といえば『獄中の記』も折角買ったのに積読状態となっているので、これを期に読む。佐々木信綱の言葉が泣ける。娘の斎藤史さんも歌人で先年お亡くなりになった。斎藤といえば、茂吉の長男斎藤茂太さんも亡くなってしまった。北杜夫さんにはまだまだ長生きしていただきたい。
しかしね、おじさん・・・

私と同室していた予備少将が、隆々たる股間の一物を格子から突き出して、おい、憲兵っ、と大声で呼んだのである。われわれの室の前には、いつも、着剣軍装の二十二、三歳くらいであろうか、紅顔の憲兵が立っていたが、
「はっ、何でありますか」
と振り向いた鼻先へ、逞しい逸物を、ぐいっ、と突き出しておいて
「貴様あ、覚えがあろう。尻を持って来いっ」
と、大喝したとたん、その青年憲兵は、見る見る首筋まで真っ赤になって、下を向いてしまったのには、三つの室から、どっ、と爆笑が沸いた。
しかし、北ひとりは、ニコリともせず、静かに「法華経」を読誦していたのが、印象的であった。
矢次一夫『昭和動乱私史』より

予備の少将って・・・