いろいろ気になる

黒崎貞明という人も多事多端な星の下に生まれた人だ。既に士官候補生のときに革新運動にのめりこみ、そのせいで隊付をするとき、受け入れ側の歩43の中隊長が皆彼を嫌がった。しかし近衛聯隊から転任してきた野田又雄が「俺の中隊で預かろう」と引き受けてくれ、少尉任官の詮衡会議も、聯隊長辻権作の勇断によって何とかこれをパスすることができた(このコンビ安彦良和ファンならニヤリとするところだ)。こうして何とか任官できたが、二・二六事件で、関東軍憲兵司令官であった東條英機に一網打尽にされ、下獄。不起訴となるが、その後もノモンハンガダルカナル、そして最後は津野田・牛島の東條暗殺計画と、派手といえば派手な軍人生活であった。

野田又雄は、十月事件で検束された人の中で唯一の非幕僚である。鉄血章やらなんやらの問題で、青年将校たちが次々と離反していく中、彼が橋本欣五郎の側に残った理由はよく判らない。年齢的に云えば、彼は大岸頼好と同期であるから、まあぎりぎりではある。橋本一派と菅波三郎たち若手の間の出来事については、渦中にいた末松太平の『私の昭和史』に詳しい。しかし末松大尉にしても大蔵栄一大尉にしても、橋本らとは袂を別ったが、野田への好意には変わるところがないように見える。大蔵大尉は『二・二六事件への挽歌』のなかで、”快男児 野田又雄”という一節を設け、其の人柄を懐かしんでいる。大蔵によれば、野田はこのころからジョンジュルジャップと付き合いがあったそうだ。昭和12年、満洲国軍附となる。事件の余波を受けた人事といっていいだろうと思う。ノモンハン事件で受傷し、翌年死ぬ。『虹色のトロツキー』という漫画に、この頃の彼が出てくる。
 

気になるといえば、田中弥大尉も気になる。橋本四天王※の一人でありながら、二・二六事件で起訴され、拳銃自決。その経歴といい最期といい、もう少し研究されても良いと思うんだけどなあ。末松大尉の本を読む限り、田中は橋本の郎党ではありながらも、性質的に橋本やとやや合わないところがあったのではないかと思う。嫌疑は叛乱幇助。陸士33期のトップであった。
 ※橋本の手記の写しを受け取った4名を指して、私が今勝手に命名
  長勇、小原重孝、田中弥、天野勇


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