殉義隊 若杉是俊少尉

特攻隊員というと誰を思い浮かべるでしょう?関大尉?藤井中尉?上原少尉※?
私は題名の若杉少尉です。私が彼の名を知ったのは故村上兵衛氏の『桜と剣』でした。淡路島の巡査の息子であった彼は、洲本中学では開校以来の秀才といわれていたそうです。その後広島幼年学校、陸士予科航空士官学校と進み、すべて恩賜で卒業しました。

航空士官学校時代ではひとつのエピソードがある。
その担任の区隊長が、若杉を目の仇にして、些細なことを咎めては、彼を殴った。
その区隊長はモノマニアックなところがあり、とくに幼年学校に対する激しい敵意を抱いていたらしい。
嫌いな幼年学校出身の生徒が、しかし何でも良く出来るとなると、事毎に腹が立ったのかも知れない。
若杉は、温厚でけっして人と争ったりしない優しい性格の男でだったが、そういう完璧さが、ますます区隊長の怒りを誘った、ということも考えられる。
毎日のように、満座の中での殴打が続き、若杉の顔は、いつも脹れあがっていた。
しかし若杉は、それは自分にどこか至らないところがあるから、と反省するような男だ。
とうとうある夜、区隊長がまた若杉を列の前に呼び出し、殴ろうとすると、
「待ってください」と列中から呼び声がかかった。
同期の野上五夫が、
「若杉を殴るなら、私を殴ってからにしてください」と、一歩前に進み出たのである。
「なにぃ」
区隊長の怒りの眼差しの前に、すると、
「私も同じです」
「私も・・・・」
ぞろぞろと全区隊の生徒たちが、一歩前に踏み出した。
「貴様らぁ」
狂乱した区隊長は、その全員を、つぎからつぎに殴り飛ばし、そして部屋から去っていった。
野上によると、そのときの区隊長の後姿は、がっくりと肩が落ちて、じつに淋し気だった、という。
そして、その日からぴたりと区隊長の”若杉いじめ”はおさまった。(村上前掲書)

その後彼は常陸教導飛行師団で編成された八紘第十隊(殉義隊)の隊員に選ばれました。しかしその態度は、実に従容たるもので、一点の曇りも無い晴れ晴れとした表情であったと、皆語ります。

「若杉少尉にはおどろいた。あの人は普段から悠揚としていたが、特攻隊に決まっても、少しも変わらず、こちらが挨拶すると、にこやかに答礼してくれたものです」(高木俊朗『陸軍特別攻撃隊』)

伝聞いた村上氏ら同期の人々も、若杉ならさもありなんと、何ら疑うことなく、それを受け入れました。しかし、フィリピンへ向かう途中、新田原で同期の日野少尉、木幡少尉と会った若杉少尉は、
「特攻隊編成の話があった時、おれは一番で志願した。しかし・・・・貴様は、まちがっても特攻隊なんかになるんじゃないぞ」と2人に言い残しました。その後、台湾の高雄でも同期の歩兵少尉を探して、一晩語り明かし、最後にこう言ったといいます。

「今まで俺は天皇陛下のため、お国のためと言い続けてきた。
 自分でもそれを信じ、いや信じていると思っていた。
 しかしその言葉にはどうも本当ではない部分が混じっているような気がする。
 …俺はそのことを誰かに言い遺しておきたかったんだよ」(村上前掲書)

敦賀隊長以下殉義隊の五機は、昭和19年12月18日、クラークへ進出、同21日1240頃、ミンドロ島沖の敵輸送船団に突入しました。

若杉是俊少尉 享年22歳 死後二階級昇進 功三級


おまけ
上原良司少尉の遺書

所感
栄光ある祖国日本の代表的攻撃隊ともいうべき陸軍特別攻撃隊に選ばれ
身の光栄これに過ぐるものなきと痛感いたしております。
思えば長き学生時代を通じて得た
信念とも申すべき理論万能の道理から考えた場合
これはあるいは自由主義者といわれるかもしれませんが
自由の勝利は明白な事だと思います。
人間の本性たる自由を滅す事は絶対に出来なく
たとえそれが抑えられているごとく見えても
底においては常に闘いつつ最後には勝つという事は
かのイタリアのクローチェもいっているごとく真理であると思います。

権力主義全体主義の国家は一時的に隆盛であろうとも
必ずや最後には敗れる事は明白な事実です。
我々はその真理を今次世界大戦の枢軸国家において見る事ができると思います。
ファシズムのイタリアは如何、ナチズムのドイツまたすでに敗れ、
今や権力主義国家は土台石の壊れた建築物のごとく
次から次へと滅亡しつつあります。

真理の普遍さは今現実によって証明されつつ過去において歴史が示したごとく
未来永久に自由の偉大さを証明していくと思われます。
自己の信念の正しかった事この事あるいは祖国にとって
恐るべき事であるかも知れませんが吾人にとっては嬉しい限りです。
現在のいかなる闘争もその根底を為すものは必ず思想なりと思う次第です。
すでに思想によってその闘争の結果を明白に見る事が出来ると信じます。

愛する祖国日本をしてかつての大英帝国のごとき
大帝国たらしめんとする私の野望はついに空しくなりました。
真に日本を愛する者をして立たしめたなら
日本は現在のごとき状態にはあるいは追い込まれなかったと思います。
世界どこにおいても肩で風を切って歩く日本人
これが私の夢見た理想でした。

空の特攻隊のパイロットは一器械に過ぎぬと一友人がいった事も確かです。
操縦桿をとる器械、人格もなく感情もなくもちろん理性もなく、
ただ敵の空母艦に向かって吸いつく磁石の中の鉄の一分子に過ぎぬものです。
理性をもって考えたなら実に考えられぬ事で
しいて考うれば彼らがいうごとく自殺者とでもいいましょうか。
一器械である吾人は何もいう権利はありませんが
ただ願わくば愛する日本を偉大ならしめられん事を
国民の方々にお願いするのみです。

こんな精神状態で征ったならもちろん死んでも何にもならないかも知れません
ゆえに最初に述べたごとく特別攻撃隊に選ばれた事を光栄に思っている次第です。
飛行機に乗れば器械に過ぎぬのですけれど、一旦下りればやはり人間ですから、
そこには感情もあり熱情も動きます。
愛する恋人に死なれたとき自分も一緒に精神的には死んでおりました。
天国に待ちある人、天国において彼女と会えると思うと
死は天国に行く途中でしかありませんから何でもありません。

明日は出撃です。

過激にわたりもちろん発表すべき事ではありませんでしたが、
偽らぬ心境は以上述べたごとくです。
何も系統立てず思ったままを雑然と並べた事を許して下さい。
明日は自由主義者が一人この世から去っていきます。
彼の後姿は淋しいですが、心中満足で一杯です。

いいたい事を言いたいだけいいました無礼をお許し下さい。
ではこの辺で