「BC級裁判」を読む

半藤一利 秦郁彦 保阪正康 井上亮『「BC級裁判」を読む』日本経済新聞社

半藤、秦、保阪という代表的な現代史の書き手に、富田メモをスクープした日経新聞の井上編集員を加えた4人で、BC級戦犯裁判を語るという本書。取り上げられている事案は次の通り。

泰緬鉄道F軍団事件−−イギリス軍シンガポール裁判85号
サンダカン死の行進−−オーストラリア軍ラブアン裁判14号
ランソン事件−−フランス軍サイゴン裁判39号
カーコニコバル島住民虐殺事件−−イギリス軍シンガポール裁判12号
シンガポール華僑粛清事件−−イギリス軍シンガポール裁判118号
スマラン慰安所事件−−−オランダ軍バタビア裁判69号
花岡事件−−アメリカ軍横浜裁判230号
武士道裁判−−アメリカ軍横浜我利23号
ガスマタ豪軍飛行士介錯事件−−オーストラリア軍香港裁判13号
百人斬り競争−−中華民国南京裁判21号
海軍生体解剖事件−−アメリカ軍グアム裁判17号
父島人肉食事件−−アメリカ軍グアム裁判11号
ニューギニア人肉事件−−オーストラリア軍ウエワク裁判1号
東海軍司令部B29搭乗員処刑事件−−岡田ケース(アメリカ軍横浜裁判261号)
伊藤ケース−−アメリカ軍横浜裁判233号

いずれも比較的有名な事件だが、これらについて、事件の内容から裁判の内容までが、かなり詳しく紹介されており、それが一冊にまとまっていると言う点では、なかなか良い本だと思う。4人での座談会部分では、秦先生が、随所に、(シャバでは役に立たない豆知識を織り交ぜながら)キラーぶりを発揮しており面白かった。勿論中には軽口が過ぎると思う場面もあったが。

 秦 大本営の作戦課長だった稲田正純大佐が満州へ赴任して、「満ソ国境突破戦に自信ができた」と発言しているんですよ。毒ガスでやるつもりだったんです。マルタを実験台にして青酸ガスを大規模に北満の荒野で試してみて、効き目があると確信した。青酸ガスというのは、日本軍独自の兵器なんです。
 保阪 サリンなどは、まだ日本ではつくれなかったということですね。
 秦 日本は最後までサリンとかタブンのような神経ガスの開発はだめでした。作ったのはドイツだけです。日本もいろんな試作品を百種ぐらいつくったけれども、いずれも物にならなかった。唯一物になりかけたのが青酸ガスです。これも放射実験をやって、それを手投げ弾式にしたのが「チビ弾」というやつで、これでトーチカとソ連軍の戦車をやっつけようとした。
 何でチビという名前がついたかというと、ノモンハンでBT戦車というのが出てきて日本軍がやられましたね。それで、BT戦車をやっつける方法はないかということで、青酸ガスを小型のガラス球につめてぶっつけようと考えた。BTをひっくり返すと、TBになるのでチビになったという話がある。

 秦 わたしはいろんな戦記を読んできましたが、国際法についてちゃんと発言している例を見たことがないんですよ。わずかに一つだけ例外かなと思うのは、ビルマに派遣された日赤看護婦の和歌山班です。ゲリラに襲撃されて敵中突破するときに「堂々と赤十字の旗を立てて行きましょう」と婦長さんが主張するんですよ。

 秦 あの名誉棄損故判で一番得したのは福井県の女性弁護士です。わたしは一審の判決が出たときに東京地裁行きました。 控室に関係者が集まっていて、通常は弁護士が「皆様のご支援にもかかわらず、力至らず……」とかおわびするんですが、そうじゃないんですよ。
 その女性弁護士が「選挙に出る決意をいたしました」と宣言して、選挙の前祝いみたいになってしまった(笑)。裁判はどこかへ消し飛んじゃった。自民党の保守派にとって「百人斬り裁判で名前が売れているし、ちょうどいい」ということだったんでしょう。敗訴した責任者がこれをジャンプ台にして国政に出るとという妙な展開になった。

 井上 名誉棄損裁判では「日本刀で百人を斬り得るか」ということで論争になりましたね。
 秦 これもトリックなんです。山本七平が雑誌で日本刀の切れ味について延々と書いていたでしょう。刀工の何とかさんはこう言っているということで、日本刀についていろいろ考証して、結論はそんなに斬れないということにしている。しかし、据え物斬りならば何人でも斬れるんです。

 保阪 偕行社版の『南京戦史』では虐殺の死者は二万人でしたかね。
 秦 戦史家の板倉由明氏があの偕行社本の中心です。使っているデータはわたしと同じですが、わたしのほうが被害者が二倍になっている。なぜかというと、向こうは減耗率を掛けているんです。どういう減耗率かというと、勲章をもらうためには戦果を過大に報告するのが慣習で、戦闘詳報で何人と書いてあるのは〇・五を掛けなきゃいかんと。

 秦 「まぼろし=ゼロ」のグループに呼ばれて話をしたことがあるんです。彼らは「とにかく数が多い」と怒るんですよ。「じゃあ、おたくでは何人ぐらいなら満足するんですか」と言ったら、「本当はゼロだけれども、一人か二人だ」と言う(笑)。わたしが「しかし、戦闘詳報に七千人掃討とか数がいろいろ出てくるでしょう。あれはどうなんですか」と聞いたら、「あれは便衣兵だから虐殺のカテゴリーに入らない」と言う。
 半藤 便衣隊を殺しても通常戦闘だから虐殺じゃないというわけなんですね。
 秦 だけど、便衣兵を全部無条件にオミットしたとしても、当然そのそばづえを食った人たちがいるわけでしょう。「難民区の中から引っ張り出してきては便衣兵に見えるという理由で処刑していたが、あの中に無実の人間も入っていたんじゃないですか。それはどうするんですか」と聞いたんです。
 そうしたら、「そんなところに一緒にいたのが悪いんだ」と言う(笑)。わたしはこれはどうにもならんなと思ったんです。百人斬り訴訟もそういう雰囲気ですよ。一人か二人は斬ったかもと陰では言いあうかもしれないが、やっぱり建前はゼロなんでしょうね。
 半藤 そうなんでしょう。数ではなく、事実がないという主張ですから。
 秦 日本刀ではそんなに斬れないなんて、高校生でもおかしいと思うようなトリック論法が横行するんです。いくら言ってもだめ。

追記
ランソン事件について、軍司令官だった土橋勇逸が、あの長大な回顧録で一言も触れていないのは不自然だと、秦先生がおっしゃっておられたが、これは私も同感。明号作戦がいかにうまいこといったかについては、得々と書いているのに。当時はともかく、回顧録を書いたころになっても、事件について知らなかったなどということは、明敏な土橋に限って有り得ないと思うが。