バターン攻略後

畠山清行『陸軍中野学校 1諜報戦史』番町書房より

大本営からきていた参謀の一人が、
「捕虜は全部銃殺しろ」
といいだしたのだ。これについて、第十六師団長(京都)だった森岡皐中将は、
「私が、川で顔を洗っていると、私の参謀長と大本営からきた参謀が『やれ』『そんなことはやれない』としきりに争っている。そこで私も『戦いはすでに終わったのだ。そして敵は、正式に名簿まで提出して降伏している。それに、このうえ、そんなまねができるか』と拒絶した。彼は不服そうにして、大本営に帰ったが、私の参謀長は腹の虫がおさまらなかったとみえ『大本営参謀がこんなことをいったが、これは軍司令官の考えかどうか』と、司令部へ、電報でダメを押した。すると本間司令官からおり返し『絶対にそんなことは考えておらん』という返事がきた」
とのべている。『絶対に、そんなことを考えていなかった』本間中将は死刑となり、銃殺を主張した大本営参謀は、左翼ばりの『再軍備反対』をとなえながら、いまもって生きているのだが、こうしたムチャな命令を出したものは、その参謀一人ではない。筆者の調べた範囲だけでも、まだ幾人かいるが、一度敗戦となるや、この越権行為をおかしたものほど『参謀は長官の単なる補佐官にして絶対に独断的権限なし』と強弁し、敗戦や戦犯の責任を、上官、あるいは第一線で苦労した部下に転嫁して、罪をのがれているのである。