谷干城より望月小太郎への書簡

野夫等固より外国に対し平和主義を取るものなり外交上英雄主義を排し君子主義を取る者なり故に第九議会に於ても軍備大拡張に反対せしも畢竟国家の為めなり主義の為めなり此説身寸断せらるるも決て替る能はざるなり近日の新聞によれば山縣侯職を辞し伊藤侯之に替らんとす時哉今や伊藤侯が御誂の十三師団巳に完備し二十萬噸の堅艦舳艫相並ぶ侯が手腕を揮は実に此の時なり尾崎初め足下大陸進取の名案御実行の程拝見可致候嗚呼民約論を経文の如く尊崇し平権論を金科玉条とし時に壮士を教唆し所々混雑を起こさしめ猶又減租減税を以て人民を欺き個人自由主義を唱導しながら何時の間にやら独逸流の国家主義専制的頭領の前に拝伏するに至りて抑も此を何とか云はんや足下終始一貫守節云云誠に感心の至りに御座候邦家の為御自重是祈乍遅延御答如此に御座候敬白
 明治三十三年十月五日

望月はこのとき尾崎行雄らとともに、憲政本党から伊藤博文の新党立憲政友会に走っている。「足下終始一貫守節云云誠に感心」というのはそれに対する皮肉である。望月は谷へ「今国家を憂える気持ちがある人は皆新党に賛成のはずである。閣下もそうでしょう」みたいな旨の手紙を送っており、これはそれに対する返書の一節である。谷はこの前節で、「新党は憂国者の集まりで、これに入らざる者は不憂国者であるかのような言い草は、何をもって言ってるのかわしには全く解らん」と切れている。