フードバンク

11月7日朝日BE フロントランナー
日本初のフードバンク創設 セカンドハーベスト・ジャパン理事長チャールズ・マクジルトンさん(45歳)

品質に問題がないのに、「メーカーなどの定める『販売期限』が迫っている」「ラベルの印刷がずれた」「輸送中に段ボールの外箱がつぶれた」といった理由で引き取り手がつかず廃棄される食品ロスは、農林水産省の推計で年間500万〜900万トンにのぼる。ざっと1千万の人を1年間養える量だ。飽食ニッポンの象徴でもあるそんな「もったいない」を、食料を必要としている人たちに届けありがとう」に変えるフードバンクの活動に取り組む。
コメやパン、野菜、菓子、飲料水……。08年にセカンドハーベスト・ジャパン(2HJ)が扱った食品は約850トン。日本初のフードバンクとしてNPO法人の認可を得た02年は30トンほどだったから、長足の進歩だ。現在、定期的に食品を供給している企業は、東京を中心にメーカーや外食チェーン、スーパーなど約60社、単発の寄付を合わせると、延べ500社近い企業から食品を集めてきた。
中には配送もしてくれる企業もあるが、多くは2HJが引き取りに行き、いったんJR浅草橋駅に近い倉庫に集めて、再びスタッフやボランティアが運転するトラックやバンで児童養護施設などの施設、難民や一人暮らしのお年寄り、路上生活者らを支援する団体へと運ぶ。
「まだまだ満足には遠い」という。無駄に捨てられている食品は、取扱量の1万倍。一方、経済的な理由から、安全で栄養のある食べ物を1日3食きちんととれない人は「少なく見積もっても75万人」と、ショッキングな数字をはじいてみせる。食べ盛りの子どもを抱え、ぎりぎりの生活をするシングルマザーや、難民認定を申請中で働くことも許されない人たち。「本当に困っている人は社会の隅で、声を潜めている」
原点は、交換留学生として来日した91年、簡易宿泊所がひしめく東京・山谷でたまたま目にした光景だ。昼間から路上にうずくまり酒を飲む男たち。「自分もそうなっていたかもしれない」。16歳でアルコール依存症に陥び、専門の治療施設で断酒を誓ったころの苦悶がよみがえった。彼らの中に当時の自分と同じ孤独を見た。山谷に暮らしながら、路上で生活する彼らに食べ物や毛布を配る活動を続ける傍ら、彼らが自立するための「道具」づくりを考え続けた。
「サンタクロースでいるよりイエスのように彼らと同じ痛みを感じたかった」。97年からは隅田川にかかる橋のたもとで15力月間、ブルーシートのテントでホームレス生活を体験。冬の晩、見知らぬ人から「毛布、要りますか?」と声をかけられ、初めて分かったことがあった。屈辱とまでは言わないが、「手を差し伸べられる側」の複雑な心理。「配る側」だった自分のどこかに、相手を上から見るような気持ちがあったのではないかと気づかされた。
いまではフードバンクの活動を、誰にとっても不可欠で、もっとも身近な食べ物という「道具」を、あたかもペンや傘、自転車を持ち合わせていない人に「使っていいよ、というのと同じ感覚で供給しているだけ」と言ってのける。
米国人だけに強烈な合理主義者と映ることも多いが、根っこには、われわれ日本人が「できれば見たくない」と目をそらしてきた現実に真っ正面から向き合ってきたという自負がある。