将来の夢は軍事アナリスト

という時期がありました。湾岸戦争のとき、私は小学校高学年でした。当時、うちではテレビの視聴を著しく制限されていたため、情報は新聞を貪って得ていました。しかし江畑さんの風貌だけは、妙に心に焼き付いています。あの手の髪型を表現するときに、故人を引き合いに出すのは、私だけではないでしょう。その後私は道を外れ、防大に進むこともなかったので、軍事評論家なるものとは縁遠くなりました。ですので、今でも軍事評論家と言われて思い浮かぶのは故人だけです。