鳩山一郎最初で最後の演説

戦時刑事特別法は最終的には賛成多数で改正されたが、非党人の議員を中心に、意外に改正反対運動が盛り上がった*1。それを見た中野正剛は、三木武吉を介し、鳩山一郎の出廬を促した。昭和18年6月17日の第82臨時議会、久々に議会に出席した鳩山は次のように発言した。

「この機会に一言申し述べて翼賛会幹部諸君の善処を要望したい。今度の臨時議会で審議される議案は、食糧緊急対策と企業整備に関する法案であるが、両案とも国民生活に直接重大な関係を特つ案件である。したがって十分に慎重審議をして国民にたいしてもよく理解せしめ、政府においても実施にあやまちなからしめることが、われわれ議会政治家に課せられた任務であると信ずる。単に命令服従の関係で、国民を馬力で引っ張るということでなく、国民に十分納得させて、国民の協力を求めることが肝要といわなくてはならない。しかるに今議会はわずかに会期三日間で、衆議院における審議は実質的に一日に過ぎない。これでは議会の審議は形式にかわって、実際に審議したとはいえない。国民の立場からすれば、いよしよ窮迫して来た食糧問題がどうなるのか、また企業整備法案が成立したならばわれわれの事業はどうなるかなど、非常な心配と関心が持たれるのは当然であると思う。政府の説明では戦争中だから速かに審議して法案を成立せしめる必要があるというが、私はこの重大な戦争遂行に直接関係を有し、しかも国民生活に直接重要な影響をあたえる法案であるから、慎重な態度で十分な審議をすることが必要だといいたいのである。日清、日露の戦争のさいにおいても、しばしば臨時議会が開かれたが、会期を延長して審議を慎重にしたものである。戦争を命令服従の力によって遂行するのと、国民の納得と支持とによって遂行するとでは雲泥の差がある。以上のような趣旨と理由から幹部諸君に要望したいのは、政府とよく懇談して、場合によっては政府の反省を促し、会期を延長してこの重要案件の審議を十分に尽すよう努力してもらいたいことである。これが議会として当然の任務であり、国民にたいするわれわれの責任であると考える」

理路整然とした演説に、満場水を打ったように寂として声無く、みな斉しく傾聴したが、翼賛会総務小川郷太郎は、「会期は三日でも実質的には十分審議は尽している」としてにべもなく一蹴した。二番手の中野はこれを聞くや憤然として起ち、

「こういうさい、今議会に二大重要案件が上程されたが、鳩山君の動議には至極同感である。しかるに、議会の長老鳩山君の謙抑にして傾聴すべき発言にたいし、小川君の答弁は無礼である。翼賛会の幹部諸君が小川君によって示されたような態度で、今日の政局を考え、議会を運営しているところに根本的な重大問題がある。
政府の要求どおり議会を運営するならば議会は有名無実になる。しかも現在日本の議会には政党として翼賛会がただ一つあるだけだ。その唯一の政党たる翼賛会幹部の専断により、政府の意のままに動くとしたら、東条内閣は完全な独裁政府となるではないか。およそ権力の周囲に阿諛迎合のお茶坊生ばかり集まっていると、善意の権力者をして不逞の臣たらしめ、ついには国を亡ぼすにいたる。日本を誤るものは政治上層の茶坊主どもだ!」

と、翼賛会幹部を、その面前で「茶坊主」と決め付けたので、鳩山のときとは一転し議場は騒然、津雲国利、三好英之、武智勇記、中村梅吉らが野次を飛ばした。テキサス無宿松田竹千代までも「それではまるで反戦演説じゃないか。やるなら鳩山先生の如くやれ」と叫んだ。そのとき三木武吉が仁王立ちとなり「梅吉黙れ!」、「茶坊主黙れ!」と鬼の形相で叫んだ。
結局この演説は、鳩山にとって翼賛議会における最初で最後の発言となり、彼と三木は以降、政治の表舞台から姿を消した。しかし中野の闘志は衰えず、天野辰夫と組んで重臣工作に取り組んだが、揃いもそろって腰抜けの重臣に見殺しにされ、自決に追い込まれた。

*1:この改正に強く反対したのは満井佐吉のような元軍人や赤尾敏のような右翼であった。赤尾は東条に向かって「首相は正常なる議会運営を顧慮されんことを希望する」と発言し、この前日に譴責処分を受けている。