当世畸人伝

白崎秀雄『当世畸人伝』中公文庫
この本を買ったのは、ゴング格闘技で連載中の『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったか』に登場した阿部謙四郎に一章割かれていたからだが、それ以外の章も非常に面白かった。特に春秋園事件大ノ里萬助、蒔絵職人の長谷川祐次が良かった。
阿部は講道館ではなく武専に進んだ。武専では広瀬巌や松本安市らと同時期だったが*1、2人とも阿部の前では、問題にならなかったという。また阿部は後輩への指導も懇切丁寧で、惜しげもなく自らの技術を伝えた。戦後、大日本武徳会会長だった梨本宮殿下*2巣鴨に収監されると、阿部はおよそ政治とは無縁の人物であったが、殿下の釈放嘆願運動を始めた。しかしGHQを恐れてあまり協力する人はいなかったという。GHQによって武徳会が解散させられると、阿部はイギリスに渡った。講道館が幅を利かす日本では居場所がなかった。家は妻に譲り、晩年はホーム暮らしであった。

埼玉県秩父市の市立老人ホーム仁寿苑であった。
前ぶれなしにたずねて行くと、阿部は狭い個室で、一人テレビを見ていた。眉あくまで太く、骨格も頭蓋もやはり常人に比べれば大きい七十二歳の老人は、
「阿部さん」
と、わたしがいきなり入って行っても、別段おどろきもせず、迷惑そうにもしなかった。たずねた趣旨を伝えて、種々きき出したが、口数は少いものの、とくに語りたくないという風でもなかった。
わたしは昭和十一年五月の五段特別総当り戦の、木村との試合について、羽川伍郎の目撃談や、牛島辰熊が「あつかわれた」と二度までもわたしにいった語をつたえ、阿部の記憶をきいた。
「いや、あのとき私はチャンスにめぐまれたんです。試合中にもつれて木村君が崩れ、起とうとするところを大外に反って、それがうまく決まったんです。宙に舞わせたの、あつかったのということは大げさです。木村君はまたあの試合で発奮して、日本一の選手になりました」
彼の語り方が、いかにも淡々としていることに、わたしはむしろ感銘を受けた。
わたしはさらに、現在の柔道に対する関心のほどを聞いてみようと、山下泰裕選手に話題を向けてみた。
「山下君はあれだけの素材ですから、やりようによってはもう十年くらいはもつと思いますがね」
満二十八歳で山下が引退しようとしていることについて、阿部はそういって、なおつづける。最近の柔道の典型で、山下は強引に自分の得手に組んで引っ張り込んで技をかけるが、このやり方では自分より大きな力の強い相手には対抗でぎないことになる。相手にすなおに組ませて、引っ張り込ませて、自分はたるまぬように襟や袖をにぎってついて行く
「そうして相手の力や技をはかって、自分の技をかけるようにしたら、まだまだやれたと思いますよ」

組み手に関しては、ゴン格11月号で岩釣兼旺も、「木村先生は組み手にはまったくこだわらない人です。」と語っており興味深い。

彼はしまいに、自らの半生を顧みて、しめくくるようにいった。
「そうですね、私の生涯は昭和十二年六月に、現役で入隊したあのときまでで実は終っていたんです。後の五十年は惰性だ。私が柔道の夢ばかり見つづけたために、女房や子供たちには可哀そうなことをしました」
自らがそこで、可能性の限界にいどみ、青春のすべてを燃焼させた武徳会、武専との絶縁を強いた軍隊。次いで武徳会、武専の権力による強制解散。漁夫の利を得て独占団体となった講道館と、阿部はついに妥協することを自らに肯じなかった。
彼は外国に新天地をもとめて、自ら信ずるところをのべ伝えようとした。こと志と異り、彷徨の果てに力尽きたというべきであろう。阿部が家族に詫びる言葉には、哀切なひびきがあった。
見まわしてみると、部屋には道具らしいものはなにもなかった。
わたしは最後にいった。
「失礼ですが阿部さん、こういう田舎で不自由でしょうから、何か要るものがあったらいって下さい。送らせます」
七月の初旬で、着がえのシャツやズボンはいくらでも要ると思えた。彼の頬には髭がまばらに残っていた。安全剃刀などあるのかな、と思ったのである。
阿部は淡泊に答えた。
「なんにも要りません」
そして、別れの挨拶をしたとき、彼はだまってわたしの手を握った。

阿部は昭和16年に一旦除隊したが、すぐに召集された。これは満洲時代の上官だった徳島の聯隊長が、阿部が除隊していることを知り、「お前が解除なんて、ばかなことがあるか。中隊長で居れ」と、徳島の補充隊に召集してしまったからだ。阿部がときどきその上官の碁の相手をしていたことも関係しているかもしれないが、著者の白崎は、

当時の職業軍人には、いかに愚劣な男が、ほしいままに人の生涯を蹂躙し狂わせたかが肯かれる。

と書いている。

*1:松本は後輩。木村政彦と50数分に渡る死闘を繰り広げ、最後は木村得意の腕固めで左腕を折られながら尚向かっていこうとした豪傑。全日本チャンピオン。

*2:http://imperialarmy.hp.infoseek.co.jp/general/colonel/nashimoto.html