革命は藝術なり

徳川義親は貴族院でただ一人、治安維持法に反対し、次のような演説をした。

「わが国の現状が治安維持法という、このような法律を提出しなければならないことは誠に悲しい。この法律が発布されたとき、どのような事態になるか、私は膚に粟がたつ思いがし、非常な危険を感じる。まず第一に普通選挙が行われれば、労働党社会党といった政党が組織される時が必ずくる。治安維持法はこれらの政党の発展を阻害し、圧迫、弾圧するために用いられる恐れがある。このような法律は国民の思想善導に役立つよりも、むしろ逆に国家を危険におとしいれることは歴史が示す。(中略)
つぎに、政府当局は最近、各高等学校にある近代思想の研究団体を解散させたが、これでわかるように、穏健な社会改造の理想を特つものや、研究をしているものまで圧迫をしている。このような言論弾圧は、かえって国民を興奮させ、テロリストを生む結果となる。苛酷なる取締りで、社会運動は社会の表面から消えて秘密運動となる。この秘密運動にたいし政府は秘密探偵、スパイ政策で応じることになる。スパイ政策は極端に人心を険悪化することは洋の東西を問わない事実である。(中略)
とくに私が憂慮するのは、わが国の司法権は独立しているとはいえ、政府の変るたびに政党の勢力が大なり小なり影響をしている。真の司法権の独立は名目であって実際はありえない。それゆえこの治安維持法はいっそう危険をおびてくる。必ずこの法律は無辜の民を傷つける兇器となると断言できる

しかし議場の反応は薄かった。そこで候は次のような例え話を持ち出した。

数日前に義親は自動車に乗って、亀戸天神に参拝した。天神の手前に川があって橋がかかっている。その橋を渡らなければ天神には行けない。当然のことだが自動車で橋をわたり、向う岸の道路で自動車をとめると、橋の袂にいた巡査が「こらっ」とどなりつけ、有無をいわさず運転手から免許証をとりあげた。義親は何がなんだかさっぱりわからず、「いったいわれわれは何を違反したというのか」と問いただした。
「自動車取締規則違反じゃ」
「橋をわたったのが違反か」
「橋は自動車の通行を自由に許してある。しかしじゃ、橋からこちらの道路は許してない。自動車取締規則によれば、自動車が通れる道幅は四間(約8メートル)だが、この道路は三寸(10センチ)せまい。故に自動車は橋はわたれるが道路は通れん。おまえはそれを通行したから違反じゃ」
義親はあいた口がふさがらない思いをした。この事実を壇上から披露して、
「巡査は私の自動車が橋をわたるのを黙って見ていた。渡り終るとつかまえた。こうなると自動車取締法は自動車の事故を防ぐためではなく、自動車の犯罪人をこしらえる法律となる。もし巡査が自動車が橋をわたる前に注意すれば、私は違反にはならなかった。巡査はそれを承知していて、私の自動車が橋をわたるのをじっと見ていて、渡り終えたところでつかまえる。治安維持法もこういうことになる恐れがある。その結果は必ずや皇室に累を及ぼすことになる。(中略)
治安維持法は名刀ではなく怪刀となって、その切れ味の鋭さは危険きわまりない、と思うが、政府の所信を伺いたい」

3月17日、法案は貴族院を無修正で通った。義親はもう一度壇上に立ち、最後の反対演説を行った。

治安維持法衆議院を通過し、今や本院をも通過せんとしている。私はこの法律に絶対反対である。小川司法大臣はこの法律を恐れるものは共産主義者無政府主義者だけだ、といったが、私は共産主義者でもなければ無政府主義者でもない。それでもなおかつこの法案の実施に強い恐怖を覚える
私は特権階級中の特権階級に属する。その私がこの法律に反対するのは、世間の風当りも強く、よほどの勇気と決断がいる。それでも私は反対する。何故反対するのか。共産主義無政府主義の思想の起る根元を研究し知らねばならぬ。もし国民が精神的にも経済的にも、現在より、より進んだ施設をもち、生活の安定を得、多くの収入があって豊かに暮すことが出来れば、何を好んで危険な道をえらんで革命を起そうか。この根元の問題をなおざりにして、抑圧政策をとれば、逆効果をまねき、その累を皇室に及ぼすことは虎の門事件を見てもわかる。
司法大臣は司法官は信頼できるというが、この治安維持法を用いるのは警察官である。この法律は峻厳極りないゆえに、ひとたび警察官が誤って用いれば、恐るべき結果をもたらすことは必至である。しかもこの法律の実施について、政府に十分な用意もなければ準備もない。私は特権階級に属し、その実態を知っておればこそ、この無謀極まる法律の制定には賛成できない。絶対に反対である。反対する」

そのとき、静寂な議場の一角からバチパチと拍手が起った。一同がびっくりしてふり返ると、二階傍聴席から上半身をのり出すようにした一人の婦人が、熱烈に拍手をしていた。それは、義親の妻徳川米子であった。
治安維持法は3月19日に、貴族院を通過成立した。さきに衆議院では、尾崎行雄星島二郎清瀬一郎ら18名が反対したが、貴族院で反対したのは徳川義親だけであった。
徳川義親は尾張徳川家の当主であるが、実の父は、幕末の政事総裁松平慶永(春嶽)である。関東大震災で保護検束された石川三四郎を助け出したり、一方で、清水行之助に頼まれて三月事件に資金を出したりと中々ユニークな殿様だ。虎狩りの殿様というあだ名もあるが、虎狩りは一回しただけだそうだ。三月事件の資金が戦後、日本社会党創設の資金の一部になったことは有名な話。