BC級戦犯の統計

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以下は、私が世紀の遺書巻末の死没者名簿から数え上げた数値を元にしたグラフです。確度はイレブンエイトくらいw
ソ連及び中国共産党での事例は含んでおりません。また獄中での自決、病死、事故死は含んでいない(つもり)ですが、看守による虐待は常態化しており、相当数の被告が彼らに殺されたことはあらかじめ書いておきます。

BC級裁判全体

陸海比率


留意点といたしまして、憲兵は勿論陸軍の兵科の一です。ただ裁判においてはやや特異な立場にあったので敢えて陸軍から分離して表示しています。またその他には、陸海軍属、司政官、通訳、民間人などが含まれます。陸軍(憲兵含)が全体の三分の二を占めているのがわかります。

階級比率


さすがに処刑された二等兵は居ませんでしたが、一等兵はちらほら居ました。准尉は分離しましたが、海軍で准尉相当の兵曹長は分離し忘れました。下士官が突出しているのがわかると思います。また将校では、末端の指揮官である大尉が多く、中尉がそれに続きます。

国別比率


日本と最も交戦期間が長く受けた被害も大きいのは中国ですが、最多処刑国はイギリスです。僅かの差でオランダがそれに続き、この二ヶ国が他を引き離しています。どの国の裁判が残虐であったかというのは、順位をつけられる問題ではありませんが、イギリス、オランダが酷かったというのはよく見ます。数の上だけではなく、被告への虐待でもトップランナーだったわけです。
日本軍の捕虜だった人間が所を変えて判事となり、深刻な事態を引き起こした事例や、言葉の問題、被告人の取捨などBC級戦犯は多くの問題を抱えていますが、一方で何の縁もない日本人を熱心に弁護する外国人弁護士、捕虜同然の扱いを受けながら、南海の島で弁護に努めた日本人弁護士の存在も忘れてはならないでしょう。

中国

陸海比率


占領地の関係からも殆どが陸軍で占められます。またその他に含まれる大半は、瀋陽で処刑された民間人です。ちなみに裁判所別でいえば、広東裁判が最も多くの刑死者を出しています。

陸軍階級比率


最も多いのは憲兵下士官。全体でも憲兵率が高い。4人の中将、谷*1、酒井*2、田中*3、近藤*4のうち近藤以外は軍司令官経験者ですが、軍司令官としての責を問われたのは田中のみ。最高指揮官たる支那派遣軍総司令官*5はいずれも処刑を免れました。

海軍階級比率


海軍の場合は海南島関係。

中国裁判の特徴として、地獄の沙汰も何とやらで、金を積んで無罪釈放となったケースが多く見られます。また刑死者が処刑前に市中を引き回さされ、遺骸を晒し者にされたというのも中国ならではでしょう。ただ獄中でのリンチは西洋諸国と比べるとましだったように思います。広東裁判が特に苛烈であったのは、張発奎の影響であるとも言われています。広東では170名の被告の三分の一近くが処刑されました。

米国(フィリピンを含む)

陸海比率


陸軍が高いのですが、内に占める憲兵の率が低いのが特徴的です。多いのは捕虜関係。特に搭乗員処刑というのは大きなテーマでした。

陸軍階級比率


最多は下士官。大尉も多いがこれには、捕虜収容所所長だった傷痍軍人が多く含まれます。山下奉文*6A級戦犯の5名以外では唯一の大将。中将6名は列国最多。本間*7、田島、洪*8、河野の4名はマニラで裁かれました。残りは人肉事件の立花師団長と搭乗員処刑の岡田資*9

海軍階級比率


海軍では石垣島事件や父島事件、生体解剖事件などが裁かれました。その事件性の特異さも影響してか、グアム裁判での被告への虐待は、非常に酷かったそうです。自決者は全裁判所中最多の15名。

イギリス

陸海比率


比率は陸軍が圧倒的です。イギリスは10箇所で裁判を行い、総被告数978名。四分の一以上が処刑されました。

陸軍階級比率


憲兵下士官が抜けて多く、全体的に見ても下級者に厳しい印象。原田*10はジャワの軍司令官時代の責任を負いました。シンガポールでの華僑虐殺は、軍司令官、参謀長既になく、旗振り役と思しき辻は逃走中のため、河村*11が大石憲兵大佐と共に責任を負いました。二人とも虐殺にはもう一つ気乗り薄だったといわれています。

海軍階級比率


海軍もやはり下士官が最多。 左近允中将はビハール号事件の責任を問われました。

オーストラリア

陸海比率


憲兵率が低く、代りに海軍の率が高いのが特徴。全体の8割はラバウルで処刑されました。

陸軍階級比率


最多はやはり下士官。10年の判決を受けた今村均*12が、一旦日本に移送されながら、自らの意思でマヌス島に戻ったのはあまりに有名。ニューギニアの軍司令官であった安達二十三*13は、すべてを見届けてから自決。マヌスで処刑された西村琢磨*14については、将軍はなぜ殺されたか―豪州戦犯裁判・西村琢磨中将の悲劇という本に詳しいです。

海軍階級比率


場所柄から、海軍の守備隊も多く裁かれました。

オランダ

陸海比率


満遍なく大量に処刑されたのがオランダ裁判。事故死、自決、病死が非常に多く、それらを含めると、死者はイギリス以上で、ソ連を除けば最多となります。オランダは戦勝国として得るものが少なく、また自ら勝ったという満足感もなかったため、その物足りなさのはけ口を日本軍に求めたと今村大将は述懐しておられます。またスカルノインドネシア闘争も、日本軍捕虜に大きな影響を与えました。

陸軍階級比率


やはり憲兵下士官が最多。オランダは当初、今村・岡崎*15を処刑しようしましたが、これはさすがに無理があり、結局軍司令官は田辺中将*16一人。

海軍階級比率


最多は下士官ですが、中将4名は列国中最多。ポンティアナク事件では醍醐、鎌田の二人の中将が処刑されました。

フランス

陸海比率


明号作戦の発動が昭和20年3月ということもあり、交戦期間が非常に短く、刑死者も少ない。尤もだからといって良心的だったというわけではなく、戦犯捜査の元締であった探偵局の残忍さは大したものです。また彼らの矛先はベトナム人にも向きました。

「アンナン人の青年の中にはハンマーで亀頭をたたきつぶされている者もいた。性器に赤蟻の巣を入れられて悲鳴をあげているアンナン人の女性も見た。この世のものとは思えなかった」

陸軍階級比率


明号作戦時の仏印軍司令官土橋中将*17は不起訴となりました。ただランソン事件では聯隊長と3名の中隊長が処刑されました。

海軍階級比率