鵜沢総明
「神の国とその義しきを求めよ」
私は、近ごろ新聞雑誌などによく唱道されている安全第一ということを聞き、またその解説を見て、結構なことのようにも、また危険なことのようにも感じている。われわれは旅の人であって、われわれに備えられた道をどういう主義によって、どういう目的に向って歩むかということが問題になるのであるが、安全第一という主義によっていけば迷わず、躓かず、堕落しないとすれば結構であってわれわれもその門に入るに躊躇しない。しかしながらその説明を見ると、われわれの考えとは反対に傾きやすいようである。まず安全は目的か手段かということであるが、もし目的とすれば、その目的とするのは何であるか。その重きをおくところのいかんによって弊害を生ずるものである。すなわち一個人の安全か、一家の安全か、ある団体の安全か、全人類の安全か、いずれを重しと見るかということによって、結果も変ってくるのである。
ただ一つ真理と思われることは、安全安全といっていると保守的になり、因循になることである。それにまた他人の安全を図るというのならば、義務と考うるときは危険、不安心なる地位をもあえて進んでいくことがあるけれども、単に自己の安全のみを求めると、やがて獣類と選ぶところのないものとなってしまう。個人的の安全を求むるのは間違いである。
私自身の経験からいえば、この人生をわたる上の主義は義勇主義であろうと思う。すなわち聖書に「神の国とその義しきを求めよ」とあるのがそれである。もし、そういう道が最も安全な道だというならば私はこれを賛成する。誰でも神の国とその義しきとを求めよということには異議はあるまいと思う。どうしてもこの人生においてはただ安全ばかりではいかぬ。それでは学問をしても純理的に主張することもできなければ、また学んだところを実行する勇気もなくなる。学問するにしても、まず人間となって物を識るというのならば、学問の第一歩においても「神の国とその義しきを求めよ」ということは最も重要な格言である。
理想候補者発表
大隈重信、三宅雪嶺、黒岩周六の三人が中心となって理想選挙同盟本部会というのができ、戸別訪問もせず、地方地方に信用があり、金も使わず選挙された者十八人ばかり推薦して理想候補者として全国に呼びかけた。明治四十五年四月十九日付の各新聞紙上に、いっせいに推薦広告が出て、これが大変な評判になった。
理想選挙同盟本部は全国議員候補者中、特に理想的なる者を選考し、別項広告欄所載のとおり発表せり。
今回衆議院議員総選挙に際し 本会選考委員伯爵大隈重信、文学博士三宅雄二郎、万朝報社長黒岩周六 三氏の選考せし理想候補者 左に(官報府県別順による)
東京市神田区錦町一丁目十四番地
理想選挙同盟会本部
(電話 本局 二四〇七番)東京市 古島 一雄 神戸市 野添 宗三
長崎市 鈴木 力 埼玉県 卜部喜太郎
千葉県 鵜沢 総明 千葉県 小林 勝民
茨城県 相島勘次郎 宮城県 沢 末太郎
福島県 鈴木 寅彦 山形県 伊東 知也
秋田市 井上 広吉 岡山市 服部 綾雄
岡山県 西村丹次郎 尾道市 橋本 太吉
広島県 花井 卓蔵 山口県 佐々木安五郎
和歌山県 前川 蔵 愛媛県 村松恒一郎右、公告す。