【報知新聞号外 昭和十二年一月二十九日】宇垣大将重大決意

これは発禁処分になったものである。この林中将の声明については以前に書いたが↓
近衛読書中隊 林弥三吉中将重大声明
『裁かれる昭和』第二回に全文が掲載されていたので改めて紹介する。

陸軍大将を辞して 軍と訣別組閣に邁進

宇垣氏の親近者として組閣工作に奔走しつゝある林弥三吉中将は二十九日午前九時半組閣本部において記者団に対し次の如き宇垣大将の組閣に対する牢固不動の決意につき重大なる発表を行った。
私は頼まれて宇垣閣下のお手伝いに上った者であります。現時局の重大性を察し国家及び皇軍のために一臂の努力をなさんとして来たのであります。私はこの重大時局は、宇垣閣下に非ずんば断じて救い得ぬという信念をもっております。これより、昨日、宇垣閣下のお使いとして河合操閣下ととお会いしたときの事情を申し上げます。
先ず宇垣閣下の御挨拶として「軍の現状および世論は御覧のとおりで、権力の地位にある者数名が中心となり、当局を強要して軍の総意なりと言いふらし、それが大勢なりというが如く装うてる。そもそも軍は陛下の軍であるが、過般来の行動は陛下の軍の総意なりやは問わずして明らかなり。三長官の陸相後任選定のごときも、形式的のやり方だけあって、著しく誠意を欠いている。現役将官個人の中には、この際進んで難局に当るを辞せずとの意気を有する人もあるけれども、その進出が梗塞されている、もはや残されたところは自分としては変通の手段を有するのみ、また世上伝うるが如き優諚を奏請するが如きは考えたることもなし。若しも余の拝辞後軍の成行き及び君国の前途は痛心に堪えざるものがある。
私は今ファッショか日本固有の憲政かの分岐点に立在りと信ずる、軍を今日の如く政治団体的状態に至らしめたるは余もまた微力その一部の責を負うべきであります。事は聖明に対しうたゝ恐懼に堪えず。しかも永年愛するところの軍が斯くの如き状態に至りたることは実に遺憾に堪えず。
今や御採納相成るや否やは拝察の限りに非ざるも、最後の軍に対する手段として陸軍大将の官を辞する決意を固めました。大勢の判断が違うなら格別なるも若し私の所見に御同感ならば私の毀誉褒貶は別として救国救軍の意味において一臂の労を垂れられるの余地なきや、おそらく余地も存せざることゝは拝察致しあるも多年の愛顧を蒙り軍の長老としてあらるゝ閣下に対し軍と訣別する前において愚言を申上げて御諒承を得置く」
との旨をうけて御挨拶にまかり出たわけであります
河合大将はこのとき泣かれて
「辞表がまだ御手元を離れていないならばこの際切に思い止まられんことを望みます。自分の見るところでは決して軍の総意で閣下を排斥してはいないと信ずる。然しながら三長官の決議とあるが故に私は今まで躊躇していたわけであります。この時局は宇垣閣下に非ずんば断じて救い得ないと思うから最後の御努力を訴える次第である」
と述べられました、そこで私(林中将)は三長官の決議については充分に御検討を御願申しておきました、しかして後は両名(河合大将と林中将)とも何もいうことが出来なかった。

首相が文官たる以上軍統制に何の関係ありや 林中将所感を述ぶ

これから後は私(林)第三者の位置に立って所感を申述べます。
首相は文官である。文官たる首相が軍の統制に何の関係ありや。軍の統制は軍の首脳部さえしっかりしておれば可なり、故に宇垣閣下が首相となられても軍の統制は何等の影響もないと信ずる。然るにも拘らずその統制を保ち得ずとは何たるぶざまでありますかそもそも組閣行為は純然たる政治行為である、これに向って軍を提げて反対するとは違勅ではないかと思われる。慎重にありたいものである。過日来軍の発表軍の『総意』軍の総意ということがある、そもそも軍は大元帥陛下の軍である。
陸相は果して陛下の御裁可を経て発表せられたものであるか、まさか陛下はこんな政治進出を御許しになるまい。これまた切に慎重を望む、現役軍人は政治に拘わることを禁ぜられてありますからこの際何もいわれぬのであろうが願くば朋輩相いましめてもらいたい。在郷軍人は忠良の臣民として在郷しているものであるから個人としては勝手に所見を述べ得る筈であるから願くば進んで意見を述べて貰いたい。
今や単なる組閣問題を超越して国家皇軍を救い得るや否やの分岐点にある。しかるに正論は梗塞せられて邪論のみ行われている如く見える、日本にはなお正義の鬱勃たるものありと信じている、我輩は天下の志士願くはこの際御高見を発表して貰いたい。私のそんたくする処ではこの与論の帰する処を見て宇垣閣下は決心されると思う。なかんずく軍人の意見を徴してもらいたい、ついてはなるべく早くやって貰いたい。