世の中はゆっくり回る

佐々木二郎『一革新将校の半生と磯部浅一』より

裁判長若松只一中佐は、
 「大蔵大尉ともあろう者が、先に肯定したものを今に及んで否定するとは、どういうことか」
 ときめつけた。この文句は、それこそ若松中佐ともあろう者の言ではない。このような、人を辱しめるごときいい方は、ことに裁判において、誇り高き武人に対してするものではない。返事のしようもなく、ただただ罪に陥れんがための悪魔の言葉になるのだ。
 「ちょっと待って下さい」
 と、大蔵は考え込んだ。やおら顔をあげた大蔵は、
 「戸山学校時代、校長渋谷中将は(大蔵は手でその恰好を示しながら)世の中はクルッと小さく早く変るものじゃなく、大きくゆっくりと変るものじゃと私にいいました。今度私か東京に護送される途中、京都駅で求めた新聞で満州にいた中将の逝去を知り、感慨無量でした。−どうですかわかりましたか」 「否、さっぱりわからん」
 若松裁判長の答えに判士以下、しばらくは笑いを噛み殺すのに苦労した。しかし大蔵なればこそ、この名答弁ができたのだと、私は笑いながらも思った。

上記は私の好きな一節です。
「世の中はクルッと小さく早く変るものじゃなく、大きくゆっくりと変るもの」
いい言葉です。小学館の『二・二六事件秘録(三)』にこのやりとりが載っているかなと思って、開いてみましたが、どうも省略されているよう。ちなみに第五回の公判で大蔵大尉は、例え話が多く話が冗長であると若松裁判長から注意を受けています(笑)。勿論そんなもの意に介する大蔵大尉ではありませんが。