父島のみなさん

「父島ノ皆サン、サヨウナラ」
というのは硫黄島の一通信手が最後に送った電文だが、それではその「父島ノ皆サン」は何をしていたかというと、これが米軍捕虜を殺害してその肉を喰ってたんだな。所謂父島人肉食事件。勿論喰ったのは極々限られた一部であったが、其の中に旅団長や根拠地隊司令官が含まれていたから、事件は極めて特異性を持つこととなった。

父島には第109師団隷下の第1混成旅団がいた。旅団長立花芳夫は愛媛出身の陸士25期。陸大は出ていない。広島聯隊区司令官から現職に就いた。一方父島で輸送業務にあたっていた堀江参謀には、栗林中将より、作戦指導に関する権限が与えられていた。硫黄島が玉砕すると、混成第1旅団は第109師団に改編され、立花少将は中将に進級と同時に師団長に補された。このとき堀江参謀は大本営に「事情あり、適任の師団長を派遣せられたし」と電報を打った。更に返電が無いと見ると、「参謀長でもよいから派遣せられたし」と打電した。大本営ではこれを受け、柴山兼四郎次官が、「堀江がそんなに困っているのなら何とかできないか」といったが、結局制空権の無い島に送り込む手段が無いということで、沙汰止みになった。堀江がこのような異例の要請電を打ったのは、旅団長以下の振る舞いに起因する。

そもそも父島は、物資が限りなくゼロに近いレイテやニューギニアに較べれば、少なくとも上級幹部が食べるものくらいはきちんとあった。その父島で、分別のついた大人たちが、何を好き好んで人肉に手を出したのか?秦郁彦氏は、その原動力となったのは陸軍の立花少将、的場末男大隊長、海軍の森国造中将、吉井静雄大佐の4人としている。立花少将は、酒瓶に目盛りをつけて、兵隊が盗み飲みしないようにする程の酒好きであったそうだ。的場少佐に至っては、酒好きというより酒乱であったようだ。武芸計十数段、六尺ゆたかな偉丈夫で、やたらと部下を殴るので、皆から恐れられていた。性格が凶暴化した原因は、歩兵第56聯隊の大隊長として、マレー戦線で活躍したにも拘らず、軍医学校の戦術教官というような閑職にまわされたことに由来するのではないかと推測される。ただマレーでの指揮は、むやみに突撃して部下に多くの死傷者を出す暴虎馮河の勇といった感があったようだ。尤も、左遷に近い人事を受けた理由は、その指揮っぷりではなく、酒乱の方にあったのではないかと思われる。というのも少佐は、シンガポール陥落を祝した軍民幹部出席の映写会に、一杯機嫌で乱入し、フィルムを引きちぎるという狂態を演じているのである。このとき同期の朝枝繁春参謀が止めに入った。朝枝もまたどちらかといえば乱暴な人物であったが、的場はその制止を振り切ってなお暴れたというから凄い。この旅団長と大隊長は、酒を通じてかどうかは知らないが、非常にうまが合ったようで、そのうち人肉を喰うぞというような話になったらしい。

最初は海軍が処刑した捕虜を喰ったが、そのうち喰うために処刑するようになった。またその処刑も、一思いに殺すのではなく、木に針金で縛り付けて行われるなど、残虐なやり方であった。旅団長命令で、嫌々捕虜を斬った召集の60歳代の中佐は、後に絞首刑となった。

一方海軍の森中将は、米内光政の参謀を務めていたことがあり、非常に米内を尊敬していた。しかし「人間の肝は日清日露の戦役では薬用として食べられ、征露丸と呼んでいた」というような怪しげな知識を振り回していたという。そのせいか、海軍は陸軍に対して、「今度捕虜を処刑したら肝臓を持ってきてもらいたい」というようなことを頼んでいる。

堀江少佐は、ホール中尉という捕虜を、自分の英語教師として身近に置くことで守っていた。しかしそのホール中尉も遂には連行され、喰われた。だが堀江少佐は『闘魂硫黄島』の中では、立花少将を頭の鋭い実行家、的場少佐をマレーの勇者、森少将を自らケーキを作り振舞うなど気さくな人物という風にしか書いていない。

戦後、遂にこの事件を嗅ぎつけた米軍は、果たして怒り狂った。森中将だけは死刑を免れたが、立花、的場、吉井を含む5人が絞首刑となった。ちなみに、ここで処刑を逃れた森中将もマカッサルの裁判に於いて刑死している。岩川隆『孤島のつちとなるとも』によれば、立花少将、的場少佐は、処刑の前日まで、踏む、蹴る、殴る、壁に叩きつける、気絶したら水を浴びせかけるといった凄まじい虐待を受け続けた。二人は這うように処刑台を上がったのではないか。ただ父島の通信隊司令であった吉井大佐は、「無差別空襲をするパイロットは処刑されて当然。人肉は戦意高揚のために食した。命令はすべて自分が出した。部下に責任は無い」という態度を崩さなかった。そのせいか、海軍で極刑となったのは彼一人である。私も無差別空襲が戦争犯罪であるという点は賛成だ。どう言い繕ってもあれは完全無欠の戦争犯罪。中には極刑に値する人物も居るだろう。しかしそれを無裁判で殺し、ましてやその肉を喫食しては、元も子も無いではないか。

にほんブログ村 歴史ブログ