京都へ、そしてFlags of Our Fathers

京都へ行ってきました。
目的は知恩寺の古本祭りですが、少し時間があったので一条戻り橋で降りて晴明神社へ。

一条戻り橋ではその昔、源頼光四天王のひとり渡辺綱が鬼の腕を斬りおとしたという伝説があります。綱はその腕の処置を安倍晴明に相談したそうです。何の変哲も無い橋ですが外にも色々あるみたいです。利休が晒されたとか・・・


御所が秋の一般公開ということで行こうか迷ったんですが、何回か行ってるし、今回はパス。で、知恩寺行く前に念願の知恩院へ。と、思わぬところで思わぬ出会いが。

「ここはお國の何百里」by櫻井忠温

帰りには徳川四天王酒井忠次の碑も発見。調べたら墓も知恩院の裏手に在るらしい。

そして知恩院。三門のでかさに感動。映画『ラストサムライ』で使われた石段にも感動。

鐘もでけー

それから知恩寺の古本祭りに赴いたのですが、こちらの方の収穫はほぼ無し。一冊だけ買って坊主は免れたが(!?)
それが昭和11年刊の『秋山好古』 秋山好古大将伝記刊行会 非売品
刊行会代表は前記の櫻井少将。うーん、法然上人のお引き合わせか?
まだ読んでないが、秋山の兄さんの若い頃の写真が

ちなみに司馬遼太郎氏が美男子と描写して以降、秋山の兄さんは美形で通ってますが、当時の日本人はこの人の顔を美形とはとらず、怖い顔と思ってたようです。尾崎義春中将はその手記の中で次のように書いています。

陸軍には宇垣型の醜男が尠くない。日露戦争の勇将、秋山好古大将然り、大東亜戦争末期の首相、小磯国昭然りである。
秋山大将も確かに特徴のある面魂であった。当時の青年将校で、一体大将の娘は、大将に似て居るのだろうか?と余計な心配をする奴もおった。
大将には二人の年頃の娘があったのである。ところが二人共、大将に似ているというのでガッカリした青年将校も尠くなかった。が大将の考えは中々慎重であった。曰く
「娘は教育家にする」と

ちなみに小磯国昭ちゃん。あだ名は河鹿。顔はまずいが歌はうまいということで。

4時ごろに寺を後にし、百万遍からバスに乗りました。お家騒動で話題の一澤帆布と一澤信三郎(!)帆布の前を通り、ほお、あれが有名なかばん屋かなどとやってる間は良かったのですが、その後、いつまでたっても駅に着かない。結局大方1時間かかりました。連休の京都恐るべし。

帰りに映画館により、『父親たちの硫黄島』鑑賞しました。ガラガラでした。SPRと較べる人が多いのは分かりますねえ。どうしてもあの上陸戦はかぶるからなあ。しかしドキドキ感はこちらの方が上でした。私が日本人だからかな。映画館で見てこその映画だと思います。それからコンプトン中尉、大尉に昇進して恰幅がよくなってと思ってたら、最後の海のシーンではコンプトンに戻ってるじゃん!やっぱりBOB最高ですね。エンドロールで実際の写真が使われましたが、主役の3人、特にドク以外は似てますね。日本版(硫黄島からの手紙)であれやっても、ちょっとなあ。渡辺謙と栗林、伊原剛志と西、あんまり似てないですよね。後、中村シドウの役にモデルは居るの?折角実在の人物で話を進めてるのに、架空の人物は出して欲しくなかったなあ。

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