上官殺し

気になっていた人物がいる。蓮田善明。日本陸海軍総合事典でその経歴を見て以来ずっと。この本は、有名無名を問わず将官級の人物の経歴を片っ端から羅列した陸海軍将官人事総覧と違って、何か事件や戦争において名前を残している軍人なら、階級を問わずにその任官以来の全経歴を載せている。その日本陸海軍総合事典によれば、

蓮田善明(はすだぜんめい)[熊本]明37・7・28〜昭20・8・19
真宗金蓮寺住職・蓮田慈善の三男
済々黌を経て広島高師卒
昭2・4 歩兵第45聯隊附(幹部候補生)
 3・1 除隊
 3・4 岐阜二中教員
 4・4 諏訪中学教員
 7・4 広島文理大卒
 10・3 卒
 10・4 台中商業教員
 13・2 成城学園教員
 13・10 召集・歩兵第13聯隊附(任歩兵少尉)
 14・4〜
 15・12 中支出征
 18・10 召集・歩兵第123聯隊附
 18・11 南方派遣
 20・8 迫撃砲大隊中隊長
 20・8 聯隊長中条豊馬大佐を殺害したのち自決
小高根二郎『蓮田善明とその死』(筑摩書房、昭45)がある

上官殺害というのは日本軍の歴史において絶無ではない。有名なところでは相沢中佐による永田鉄山軍務局長殺害、2.26事件(渡邊教育総監殺害)、終戦時の畑中少佐、椎崎中佐らによる森赳近衛師団長殺害が挙げられる。しかしいずれも直属の上官というわけではない。相沢中佐は台湾の歩兵聯隊附であったし、畑中少佐らは陸軍省課員であった。近衛師団参謀だった古賀少佐(東条英機の女婿)は直接殺害には参加していないはずだし、歩兵大隊長だった村上少佐は、古賀少佐から師団長殺害を持ちかけられて、「直属の上官は殺せません」と言って難を?逃れている。大正年間には福知山の聯隊で大隊長殺害があったらしいが、それでもやはり中隊長による聯隊長殺害というのは、そうそうはないだろう。図書館には小高根二郎氏の本もあったのだが、ついつい忘れて借りそびれていた。ところが最近、松本健一氏の『蓮田善明日本伝説』を入手した。


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