記者は知っていたか
高宮太平『昭和の将帥』図書出版社
翌朝早く永田の私邸を襲うと、まだ寝ていた。起きるのを待っていると「どうだ、北大営は占領したろうね」と応接室の扉を排して出てきた。目が赤く充血している。「今朝はまだ社に寄っていませんから、その後の状況は知りません」と言うと、
「あの要塞砲を旅順から運ぶのには苦心したよ。支那人の目につかないように、いや、日本人にだって知らすわけにいかないのだから、石原は非常に慎重にやったんだ。おそらく敵の飛行機は完全な姿で格納庫にあるはずだ。雨だれ砲撃といって格納庫や兵舎の周囲に砲弾を落とすようにしていたんだが、うまく行ったかな」
と、前からの計画の概要を大体話してくれて、「これは君の肚にしまっておくんだよ、いま書かれては元も子もなくなるから」と哄笑した。
NHKスペシャル「日本人はなぜ戦争へと向かったのか 第3回 "熱狂”はこうして作られた」 - Apeman’s diary
見逃したが再放送がそのうちあるだろう。谷萩は後に大本営報道部長。戦後、刑死。