蒙古と呼ばせて

『徳王自伝』岩波書店

私が張家口に到着するや、すぐ出発することとなり、北京・山海関・奉天・朝鮮等を経由し、海を渡って、[10月19日]日本の下関駅に着いた。日本国内で歓迎の人々とあいさつする際、私はいつも「蒙古」と言って、「蒙疆」とは言わなかった。私が話し終わると、私に随行する専属通訳徳古来が日本語に通訳した。金井章次は傍らにいて、すぐ新聞記者や歓迎の人々に向かって、「先程、徳王が言った「蒙古」とは「蒙疆」のことです」と説明するので、私はとても不愉快な思いをした。
内閣総理大臣近衛文麿が我々一行を宴会に招待してくれたが、歓迎宴が始まる前、私は彼と応対しながら、「現在、蒙古民衆は「蒙疆」という名称を望まず、「蒙古」で新政権を代表させたいと願っています」というような話をした。こんな話をしていたところ、接待係が近衛に「あいさつの言葉」を待ってきた。近衛はそれに目を通してのち、「蒙古」の二文字がすべて「蒙疆」に書きかえてあるのを見て、私か今しがた「蒙疆」に反対云々と言ったので、何かに気づいたように少しためらった。しかし、近衛のあいさつはやはり原稿をそのまま読んだだけであった。おそらく、金井章次がまたもや事前に工作したものと思われる。